シネマ日記 2002


  • 『ビーンストーク(ジャックと豆の木)』(2001米 120分)   監督/ブライアン・ヘンソン、主演/マシュー・モディーン、ヴァネッサ・レッドグレーヴ。SFXファンタジー・アドベンチャーの特大娯楽映画。長い映画のはずなのだが、あっという間に見終わってしまった。もちろんレンタルビデオで鑑賞、オーディオシステムの迫力で楽しんだ。アメリカ映画はどうしていつもこんなに素敵な映画を作れるのだろう、と少し嫉妬。CGやSFX技術の高度な観点で捉えるよりも、根底にディズニー映画の歴史や文化の影響が深く受け継がれているのだろう。おとぎ話を独創的にリアルに映像化してしまう心意気は、残念ながら日本ではブームとはならないようである。映画ファンの層が日本とアメリカとでは何かが異なるのだろう。日本では好きな道を思うように歩けない教育の壁や社会の壁が厚くて、現代の若者たちがとても不憫な気がしてならない。年間3万人もの自殺者が出るこの日本という国では、何かが歪んでいるのであろう。平和国家に見えて、今も社会の片隅でひっそりと自らの命を絶とうとし、己れを己れの命に科せてまさに自爆してしまう、さみしい出来事は、パレスチナ人の自爆テロの数よりも多い。日本の自殺は他人を巻き添えにするわけではないから、それとこれとはケースが違うといわれそうだが、その異常さに気が付かない日本の国家は、やはり異常なのかもしれない。

    そんな暗い現実から、この1本の映画を観ることで、こんなにも人生を励まし楽しくさせてくれる『ビーンストーク』は、さすがに一流の映画といえる。あの巨大な巨人の人骨を見せるところなどは、この映画の独創といってもいいのだろう。そもそも「ジャックと豆の木」って、誰もが幼い頃から知っているおとぎ話なのだが、この映画を観ていると、そんな話だったっけ、と思い返してみても、なるほど辻褄が合わない話ではない。そこがまた実に面白い。悪いことをして来て大きくなった会社を諷刺する一方で、最後にはちゃんと環境問題につながり社会貢献に変わってゆく会社の顛末もなかなか面白い。金の卵を産むおしゃべりな鵞鳥とおしゃべりをする金色の小さな天女の竪琴弾きが、下界の人間によって盗まれるところから、物語の騒動は起きる。天に伸びた豆の木を登って来る下界の人間の卑しさと、巨人たちが暮らしている幸せな天上の世界とを、実に視覚効果で以って映像化された映画である。そしてまた、こんな地上のヒロインとファンタスティックな天界のお嬢様との恋愛もあって、やっぱり垢抜けしているストーリーは粋な話ではある。たとえ報われない人生であっても、どんなに貧しくても、一輪の花を愛せる心は失いたくないものである。

    (2002/09/26)


  • 『シュレック』(2001米 94分)   監督/アンドリュー・アダムソン、ヴィッキー・ジェンソン。2002年アカデミー賞長編アニメーション部門最優秀賞受賞作品。声優/怪物シュレック(マイク・マイヤーズ)、フィオナ姫(キャメロン・ディアス)、ロバのドンキーにはエディ・マーフィ。日本語吹替版ではシュレックに浜田雅功、フィオナ姫に藤原紀香、ドンキーに山寺宏一。すばらしいCGアニメであると同時に、忘れてはならないヒューマンタッチが見事である。『ネバーエンディング・ストーリー』を少し彷彿とさせる一方、これまでのアメリカ映画の偉大なる伝統をつくづくと思わせる。斬新さは、いつも伝統を受け継いでこそ花を咲かせるものであることがよくわかる。伝統を学び、自ずと導かれて、すばらしい傑作を生んでゆくのがアメリカ映画の本質であろう。超娯楽大作でありながら不思議と学問的気品さとヒューマンな気品さに満ち溢れている。大変ユーモラスな中に、あたたかい心とピュアな心を決して忘れることがないところが、アメリカ映画の尊敬できるところだ。

    巨大な城の暴君ファークアード卿、といっても実際はちんちくりんで心身醜い権力者なのだが、その暴君から抑圧を受けて王国から追放されたおとぎ話のいろんな生物たちが、森の向こうの沼のほとりに住む怪物シュレックのもとに身を寄せるところから物語は大きく展開してゆく。思わず吸い込まれてしまいそうになるファンタジー・アドベンチャーである。映像のCG技術がさらに迫力を増す。勇気と愛と冒険が変わらぬ古典的手法ではあるけれども、それらは忙しい現代人が日頃つい忘れてしまうものばかりである。このアニメ映画ではシュレックよりもドンキーの個性が強いが、シュレックとフィオナ姫の恋愛関係は何ともリアルで微笑ましいかぎりだ。シュレックの勇気と孤独感には凛として張り詰めたものがあるが、それをオチャメで饒舌なドンキーがうまくカバーしてくれるところが何とも小気味よい。鑑賞していると、あっという間の時間が過ぎて、とても感動を与えてくれた作品だった。たった一つだけ、妙に心残りなのが、終盤でフィオナ姫にかけられた呪いが解けた後でも、昼間の美人顔に戻れなかったことで、何だか作者の理屈めいた筋を通されて違和感を感じたのはわたしだけではあるまい。普通なら美女と野獣のハッピーエンドで終るところを、似た者同士の外見に合わせてしまったところは、妙にひっかかってしまった。終盤で見せるフィオナ姫の本当の姿だとするならば、藤原紀香のイメージが崩れてしまって、日本語吹替版では無理だったような気もしている。やはり、このアニメ映画に関しては、字幕スーパーで鑑賞するほうがいいのかもしれない。

    さて、話は別になるが、先週末二夜連続で放送された脚本・倉本聰の『北の国から』が21年かけてついに完結となったわけだが、あらためてこのTVドラマに大変感銘した。田中邦衛を始めとする錚々たる俳優たちが演じるお馴染みのドラマなのだけれども、こんなにも北海道の風景を美しく壮大にロケして、実に人間と自然のあり方を毅然と問いかけたドラマは、本当にすばらしかったと思う。日本のTVドラマが日本映画の一級品さえも越えたのではないか、そんな気がした。日本には自然という凄い財産と、あらためて世界に通じる俳優たちがいっぱいいるのだなと、本当に実感させられた。こんなにも魅力的な演技が出来る俳優たちというのは、本当に日本の誇れる財産におもえた。今度あらためて『北の国から』を振り返ってみたい気になった。

    (2002/09/09)


  • 『ハムナプトラ2/黄金のピラミッド』(2001米 130分)   主演/ブレンダン・フレイザー、監督・脚本/スティーブン・ソマーズ。女優レイチェル・ワイズ扮するエヴリンの活躍は男顔負けともなる存在感だ。冒険家リックを演じるフレイザーの顔は一度見たら忘れられない個性派俳優だが、この2人が前作の『ハムナプトラ/失われた砂漠の都』に続き今度は息子付き夫婦役として再登場してくれたのはとても嬉しい。前作を以前ビデオで観た時、このSFXアドベンチャー映画は大変ユニークで実に面白かったが、久し振りにパート2が出たというので楽しみにしていた映画だった。早速レンタルビデオを借りて、我が家のオーディオシステムで鑑賞。なるほど前作をかなり凌ぐ壮大なスケールの、実にハラハラドキドキのアドベンチャー・スペクタクル巨編だった。凄いSFX映像で堪能させてもらった。ストーリーについてはここでは語らないことにする。

    こういう映画は毎度のことながら、日本からは生まれて来ない映画である。どうも映画製作費やCG技術の劣等感だけではなさそうだ。基本的に映画作りに日本人にはこの手の夢が抱けないのだろうと思う。リアルな夢を再現する高度な技術はどんどん輸入すればいいと思うが、それ以前に原作が陳腐なものしかないようにも感じられる。有名な作家かアニメ作家か脚本家のものでしか資金を投じない映画製作の慣習が禍しているようにもみえる。最近最も感心した日本映画に吉永小百合主演映画『長崎ぶらぶら節』(2000日 原作/なかにし礼)があるが、こういう立派な映画が出来る日本で、どうして『ハムナプトラ』のようなアドベンチャー映画が出来ないのか、結論はいつも同じになるが、日本の俳優には、体格も度胸もあってアクションが出来る人材が実に乏しいということと、相変わらずの外見だけのマンネリ、夢が描けなくなってしまったのか、これだから日本映画は衰退してしまうのである。これからの名作は、レイチェル・ワイズが手本を見せたように、名演技よりも名アクションが出来るかどうかにかかっているような気がする。

    (2002/01/15)





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