キーラ・コルピ



ホーム

Figure Skating   世界の中の日本

文・ 古川卓也

     世界女王 浅田真央の誕生

世界フィギュアスケート選手権2008女子で浅田真央選手が見事に優勝して栄冠に輝いた。今季最も注目していた選手なので、日本国民としても大変嬉しい。前年2007年の世界女王安藤美姫選手が連覇ならず、フリーで途中棄権し不調に終わって成績が芳しくなかったのも、昨年の右肩脱臼以来、当然ながら予測していた。それどころか、早く完治してもらうために一刻も早く療養してほしかった。来月4月にも手術をする予定との見出しがネットニュースで確認できたので、ファンの一人としてもホッとしている。日本が世界に勝つためには、運良く与えられたフィギュア・シングル出場3枠(日本とアメリカのみ)に、浅田真央のような比類稀な美しいしなやかさと華麗な舞いが絶対に必要であるし、安藤美姫のような強い根性の持主の影響も必要で、中野友加里のような完璧さを実現できる努力の達人の賜も必要である。三人の個性が集まってこそ、これからの日本女子フィギュアスケート界の醍醐味も出ると私は思っている。決して個人演技で勝てるものではなく、日本チームが一丸となって互いに影響し合い競技にも熱が入るものとみている。

さて、今回の世界選手権を振り返って、各国すばらしい選手の集まりのなかで、少しだけ私なりの感想と今後の展望について記述しておく。先ず何と言っても浅田真央選手のフリー演技で、最初の見せ場トリプルアクセルが跳ぶ寸前の転倒とあって、回転後の転倒でないハプニングには肝を冷やした。こんな転け方は初めて見た。まるでリンクの上で跳び蹴りをしたような状態で横に流れ、あわやフェンス激突かと思ったが、うまく回避し、演技再開の姿勢に臨む沈着さは見事だった。かえって開き直ったかのように自然と体が動き始めたのだろう。それほど日頃から練習していた成果といえる。昨年の悔しさを人知れず人並以上に努力研鑽していたに違いない。銀メダルの悔しさは銀メダルを獲った者にしか分からないかもしれない。今回2位だったイタリアのカロリーナ・コストナーには、浅田選手も要注意である。世界女王に甘んじて少しでも油断をすれば、すぐに王座陥落の危険は付きものだ。幸い大きなケガもなく今季順調に戦い続けられて来られたのは、浅田選手が一段と成長しプロの風格を帯びて来た証拠ともいえるから、来季の世界戦や2010年の冬季オリンピックにも是非このまま無難に強い選手として期待したいところだ。キム・ヨナ選手だけがライバルだと勘違いしないように頑張ってほしい。緊張で何が起こるか判らないのが、いつもながらにして世界大会だからだ。

それから、中野友加里選手の疑惑判定について一言。本来ならば、すでに最初のショートプログラム(SP)でのコストナーの得点が64.28で1位というところから疑わしかった。SP2位となった浅田の64.10をとても超えるような判定には誰にも見えなかったはずだ。コストナーはトリプルルッツで着氷がひどく乱れていた。飛び抜けて美しいテクニカルエレメンツはさほど見出せなかった。ただ、身長が高い選手のために手足の長い大胆な滑り方には随所で見どころがあった。黒のタイトなコスチュームはリンクに映えて視覚効果もあった。たぶんヨーロッパチャンピオンのコストナーには、審判の誰かが同じ第9グループの滑走順で先に滑走していた日本勢3人よりも後で滑走したコストナーにはどうしても高得点となるように細工をしたのかもしれない。そして、中野の得点が61.10で3位だったわけだが、中野のテクニカルエレメンツはいつもなぜか思ったより評価が低い。2人のルッツジャンプとフリップジャンプでどちらが正しい技術点なのか、一体どこの国のどのジャッジ判定になっているのか、といったような採点が今はTV非公開で分析が困難であるため、と言うよりそういった争い事を失くすために非公開にしたのだろうが、昔はどの国のジャッジがどのように採点したかを常に映像公開したものである。それが今では、得点を下2桁に細分化し、実は逆効果となって、裏では何が仕掛けられているのか視聴者には判らない。関係者だけが知るような取り決めの採点方法は、ある意味では、悪く言うと談合にちかいブラックボックスともいえる。だからそれを調整するために、プレゼンテーションスコアという曖昧な芸術点も加わるということなのだろう。しかしながら、それにも増してエライのは、そんな胡散臭い評価よりも、観客のわかりやすい反応である。国境を越えて、民族を越えて、すばらしい演技には正しく拍手喝采で応えてくれるということだ。得点云々よりも、選手一人一人のドラマにとても温かい声援をしてくれるということだ。つまり、高いチケットを買ってでも、氷上のリンクで一生懸命に演技をしてくれる選手たちと共に時間を楽しく共有できることが、とても幸せなのだ。だから、誰がどんな色のメダルを獲ろうが獲るまいが、観客席でけっしてサッカーのような暴動が起きることはない。

そして、フリーで最終滑走の見事にノーミスだった中野友加里選手の演技が逆転有終の美を飾るかと思いきや、得点は意外に伸びず、あまり評価もされず結局総合4位になったのは、やはり腑に落ちない面が誰の眼にも残ったのではなかろうか。案の定、観客席からはブーイングがしばらく鳴り止まなかった。コストナー選手のフリー(FS)での得点120.40に対して中野選手のフリー(FS)得点116.30はひどい民族差別にもみえる。なぜなら、コストナーのジャンプは4箇所にわたって崩れており、ひどいステッピングアウトと氷に何度も手を着いていた。全体としてみれば、総合順位は1位に浅田、2位に中野、3位にキム・ヨナ、4位がコストナーでなければならないのに、実際には日本の浅田が1位を獲ったために、2位と4位を入れ換えることでヨーロッパのメンツと日本のメンツを保った形にした、というのは私の独断的な憶測ではある。さらに、気になったのは中野選手のスケートシューズの金色エッジが何やら違和感があって、無粋な金色(こんじき)趣味に受け取るジャッジもいたのではなかろうか。朱色地に金の刺繍を施した衣裳もやたらケバくて、もう少し控えめでもよかったのではとも思った。輝くものが衣装や宝飾であるよりも、肝心な演技上の優雅な技と芸を引き立ててくれる抑えたコスチュームの方が、中野選手にはいいような気がする。彼女は派手な容貌の持主ではないので、人によっては華美な衣裳が似合わない場合もあると思う。アメリカのキミー・マイズナー選手のようにシックに衣裳を調えると、とてもエレガントで上品に映えてみえるのではなかろうか。キミー・マイズナーはもともとキュートで可愛らしく控えめにみえるので、とても好感が持てる。アメリカの妖精にとてもふさわしい。

ところで、フィギュアスケートの芸術点となる要素とは、いったい何を指すのであろうか。優美さ、華麗さ、しなやかさ、哀切さ、清らかさ、正確さ、いろんな要素が含まれるのであろうが、私のような者でも芸術性となれば一言二言くらいは言いたくもなる。キム・ヨナ選手のフライングコンビネーションスピンはとても私は大好きで、あの上を向いたままで回転するスピンには思わずドキッとするくらいにエレガントを感じる。氷上の妖精とはまさしくキム・ヨナ選手のことを指すのであろう。一方の中野友加里選手のフライングキャメルスピン+ドーナツスピンは確かに正確でよくまわり速くまわりもするが、腕のしなやかな伸縮以外には正直なところ、そうエレガンスとは言い難い。完璧なサイボーグ運動よりも、むしろ浅田真央選手がフリーの最初でジャンプ寸前のところをのびやかに転けた姿態から、それを挽回しようと思って切なく立ち上がり残りの演技を徐々に取り戻してゆく懸命な姿に観客全員が拍手しながら感動していったリンクサイドのムードこそ、実は今回最も高く評価されたのではあるまいかと私は考える。もちろんジャンプ失敗は大減点ではある。曲はどんどん先に進んでしまうので、もちろん後戻りは出来ない。大事なことは人の心を打つ演技態度がとても重要なのではあるまいか。男子の高橋大輔選手はそこを大きく勘違いして今季世界大会ではメダルを逃したわけだ。焦りと跳び過ぎ減点であえてチャンスを逸した。反対に不利だったはずの浅田選手は、スピンのポジションがとてもきれいで、回転軸が安定していて、どのエレメントも決まり、全体としてとても美しい繊細な印象が残った。中野選手に何が物足らなくて総合4位に終わったのか私のような素人にはまったく判らないが、芸術性とは、完璧な幾何学的な形であるよりも、むしろ、いびつであったり、人間的であったり、ポップアートのファッションセンスのようなインパクトも必要なのかもしれない。北欧フィンランドの妖精、キーラ・コルピのSPでのポップなボーダーのコスチュームは、まるでファッション雑誌のモデルそのものにも思えた。フィギュアスケートの演技はどの選手もどのペアもドラマチックで、地球の花そのものといえる。とてもいい世界大会だった。浅田真央選手、本当におめでとう! 心から祝福したい。

 (2008/03/25)

     自分らしさ

2007年のグランプリシリーズ・ファイナルに進出できなかった安藤美姫選手については、誰もが予想し得なかった事態だったかもしれない。NHK杯ではまさかの敗退に終わってしまった。ショートプログラム2位にまで着けてNHK杯優勝が当然と思われていたのに、フリーでまさかのジャンプ失敗連続でガタガタとなってしまい、周囲の期待に応えられなかった安藤選手の予期せぬ敗因には、はたして優勝への意識が重く枷となって思いのほか緊張し体が固くなってしまっただけの要因だったのだろうか。おそらくは今年競技中に起こしてしまった右肩の脱臼による後遺症が、今も案外と悪く続いていて、完治しないままに無理を押して試合に出ているからではないだろうか。治癒をごまかしごまかしして本当は痛みを我慢しているのかもしれない。右肩の負傷からビールマンスピンを取り止めて来ており、4回転どころか3回転+3回転すら出来なくなって来ている体調の変化は、人知れず悪化の方向へ辿っているようにも思える。本人とニコライ・コーチがそのことは一番よく判っているのだろうが、今季NHK杯でのフリーでの「カルメン」はとても観られたものではなかった。何か無理して偶像を築き上げようとしているようにさえみえる。奔放でしたたかな女カルメンが安藤美姫によって強く印象づけられるとはとても思えない。気の強さは共にあるかもしれないが、メリメの『カルメン』を読めば、主人公カルメンとは根本的に違うところがある。オペラで「カルメン」が演技できても、原作の登場人物カルメンには決してなれないであろう。社会の掃溜めのようなところであばずれ女となって藻掻いて生きていたカルメンを、はたして今日のように生活環境の整った経済大国日本で若い現代女性がどこまで熱演して近付けるか、課題はある意味で最初から致命的ともいえる。そこを安藤は今後この壁に対してどう切り崩してゆけるかどうか。もちろんヒントは必ずあると思う。

同じニコライ・モロゾフのコーチで頑張っている、一方の男子フィギュアスケートの高橋大輔選手は、自分が好きな世界で、コーチからも自分らしさを最大限に引き出してもらい、今季NHK杯でも見事に優勝を果たした。グランプリシリーズ・アメリカ大会をも制していたので、グランプリ・ファイナルには見事進出を決めた。進化し続ける高橋大輔には、安藤美姫にも学ぶべきものがいろいろとあるような気がする。自分のモチベーションの運び方が高橋は実に上手い。NHK杯フリー(FS)では4回転に失敗はしたものの、ショート(SP)では自分の好きなヒップホップを振付に取り入れて果敢に挑戦して来たところが斬新で素晴らしい。ヒップホップ調のステップを織り交ぜた曲目「白鳥の湖」には、見応え充分な感銘があった。コーチ・ニコライの革新的な狙いは見事に的中した。自分が好きな世界で、自分らしさを表現できることの幸せと技術を高橋大輔は無意識のうちに吸収している。その自分らしさをスケートの世界で見つけられたことが才能の一つでもある。自分らしさを見つける探求は、人生の宝といってもよい。それが見つかり、それに夢中になれることの楽しさは、優勝すること以上に大事なものではあるまいか。安藤美姫選手は「カルメン」に本当に自分らしさを見つけたのだろうか。荒川静香は直前になって自分が好きだった「トゥーランドット」に曲目を変えて、見事にトリノオリンピックで金メダルを獲得している。ところが安藤選手の場合、女らしさやセクシーな表現を求めて演技することが、はたして本来の自分らしさなのだろうかと、私には疑問が残っている。エロチックや女性らしさというものは、女が過剰に自ら求めて表わすものではない。エロチックであるかどうかは、他人が様々に感じるものだ。化粧や派手な衣装で秋波を送り、媚びたからといって、男性客が必ず近寄って来るものではない。哀しみや愛らしさの仕草にもエロスはちゃんと漂っているものだ。これまで多くのスケーターが男女問わずオペラ曲「カルメン」を演じて来たが、情熱的なカルメンとは、いったい何だろうか。自分が好きな世界で、自分らしさを表現するのに、同じニコライ・コーチを付けながら、二人の選手に明暗が分かれてしまった要素は、そんなところにあるのではなかろうか。

「”言葉”と遊ぶ」より (2007/12/05)


     映画『ラヴェンダーの咲く庭で』

浅田真央選手が今季ショートプログラム(SP)でお披露目した楽曲について触れてみる。この曲は映画『ラヴェンダーの咲く庭で』(2004年イギリス映画)の終盤で、ポーランド人の若きヴァイオリニスト、アンドレア(ダニエル・ブリュール)が晴れ舞台で唯一弾く演奏曲である。時代は第二次世界大戦直前頃で、1936年イギリス、コーンウォール地方の海沿いで暮らす初老の姉妹が登場するところからこの物語は始まっている。そして、いよいよ物語の終盤で映画はこの切ない楽曲を聴くところでクライマックスを迎える。演奏される場所はロンドンのクイーンズホール。曲目のタイトルは「ヴァイオリンと管弦楽のための幻想曲」と紹介され、ソリストが若き天才、アンドレア・マロフスキであると紹介される。実際のソロ・ヴァイオリン演奏はジョシュア・ベルで、作曲はナイジェル・ヘスが手がけている。演奏の出だしは静かにオーボエから始まる。そしてオーケストラの演奏に包まれながらソロ・ヴァイオリンが悲しく鳴り響いてゆく。不穏な歴史の地響きを掻き消すように、まさにドイツ軍がポーランドに侵入して来る雲行きで、世界大戦突入直前のきな臭い空気を払い除けるかのように音楽が響き渡るのだ。そんな母国ポーランドから渡米を目指してイギリスのコーンウォールの海岸に難破漂着してしまったアンドレアだが、映画に登場するすべての人物が実に見事な演技で、その当時の素朴さや華やかさが違和感なく描かれており、ストーリーに吸い込まれてしまったのは圧巻だった。短編小説はこうあらねばならぬお手本の一つといえる。原作はウィリアム・J・ロックとのこと。これを映画に脚本化して監督したチャールズ・ダンスもすばらしい。初監督作品とのことだ。

この映画をあらためて見直してみると、主人公はやはり初老姉妹の妹アーシュラ(ジュディ・デンチ)ということがうなづける。女優ジュディ・デンチといえば、すぐにジェームス・ボンド・シリーズ007のイギリス諜報部長M役を私などはすぐに思い起こしてしまうが、俳優としての経歴は頗る輝かしい経歴の持主でもある。一方の姉ジャネット役を演じた女優マギー・スミスといえば、やはり最近のハリー・ポッター・シリーズでお馴染みのマクゴナガル教授をすぐに思い起こしてしまう。こちらも大ベテランの輝かしい経歴の持主だ。二人の競演が実はこの映画の味わい深さの核として横たわっていて、何とも小気味よい。最初に観た時は、70歳過ぎの老女が何ゆえに若きヴァイオリニストに恋心を抱いてしまうのか誠に奇異であったが、姉以外に深い人間関係を持たず隠匿的で静かな生活に甘んじていたアーシュラにとって、若き美男のアンドレアの出現は微かな異性に対する恋慕の想いが芽生えても不思議ではなかったのかもしれない。男であれ女であれ、初老を迎え年を重ねても若い異性を慕う気持ちが少しでもあるというのは、何も感じなくなってしまった鈍感な老人よりかは、人間らしくて、ましかもしれない。

さて、2007グランプリシリーズ・フランス大会でも優勝した浅田真央選手であるが、課題は今後もいろいろとありそうだ。SPで前回のカナダ大会と同様に最初の3回転ジャンプのコンビネーションがうまく跳べずに3回転フリップ1回転ループとなって失敗してしまった浅田選手であるが、SPが終わり採点が出た後に、しばらく泣き崩れてしまっていたようだ。自分の不甲斐なさを嘆き、自分で自分に向かって悔しがっていた。練習で出来ても本番でどうしても出来ない自分に対して自らを責めていた。SP1位であってもだ。フリースケーティング(FS)では最初のジャンプ、トリプルアクセルが惜しくも失敗してしまったが、後のジャンプは何とか順調に跳べて滑れていた。SPでの悔しさがあったからこそ、フリー(FS)では果敢にトリプルアクセルで攻めてゆけたのであろう。SPでの自分への悔しさがなければ、FSではまたもやカナダ大会同様にダブルアクセルで自分を許容していたかもしれない。ある意味では、自分自身こそが最大のライバルであることを最も身に染みて挑んだフランス大会だっただろう。軟弱なメンタル面から強靭なスピリッツへの転化がそろそろ芽生え始めた証しでもあるだろう。ここでも少しずつ進化してゆく浅田真央選手の片鱗が見て取れた。グランプリシリーズ・ファイナル世界一決定戦に無事に出場できた浅田真央選手、頑張れ! 完璧に滑ろうと意識するのではなく、本来の優美な浅田真央スケートワールドに観衆が酔い痴れるような演技をすれば、自ずと結果は付いて来ると思うのだ。得点にならないイナバウアーを演技して最も観衆に評価され感動を与えた荒川静香ワールドのお手本を再現してもらいたいものである。浅田真央にしかない繊細なフィギュアスケートワールドは今や世界が知っているからだ。その意味でも今回浅田選手自らが選曲して来た映画『ラヴェンダーの咲く庭で』の「ヴァイオリンと管弦楽のためのファンタジア」は、これまでに無かった自分を遥かにレベルアップして変えられる楽曲であり、と同時に、人々に陶酔を与えられる音楽でもあるから、とてもいい音楽とのめぐり逢いを果たしたともいえるだろう。

(2007/11/19)

     浅田真央の進化 2007

フィギュアスケートの浅田真央選手(17歳)が少しずつ大人になってゆく。少女から一人の女性へ徐々に成長してゆく。自らに試練を与えて、美とは何か、華麗さとは何か、優雅さとは何か、その弛まぬ努力が少しずつ試合に報われてゆく。昨年のグランプリシリーズから一年が経ち、またこの時期になると、日本人選手たちが活躍し始める。秋の終わり頃から冬の終わり頃まで、フィギュアスケート競技が楽しみとなる。今季2007グランプリシリーズ・カナダ大会で特に目を引くのは、やはり浅田真央選手の極上の進化であろう。やっと、安藤美姫選手(19歳)の強さと肩を並べるほどまでに成長して来たといえる。浅田真央のショートプログラム「ヴァイオリンと管弦楽のためのファンタジア」は、美しい音楽に負けることなく限りなく優雅に見えた。ロシアで学んだバレエの特訓は功を奏して、自らイメージした鳥のように氷上を舞うあざやかな鳥の妖精に映った。しなやかに、軽やかに、そして哀切な顔の表情のなかにも凛として、昨年とは違った、別格の一つの作品として見事に仕上がっていたと思う。スピンの回転が不足して最初の3回転フリップ3回転ループのコンビネーションが失敗したからといって、そのような技術的な失敗は次で成功して来るので問題ではない。次のジャンプ3回転ルッツとダブルアクセルではうまく挽回していた。氷上の舞いは終盤のストレートラインステップシークエンスで力強く羽ばたき、最後のまとめ方もよく、最後のポーズは彫像のように品が良かった。滑り終えた表情には女王の片鱗さえもが窺えた。SPでは3位に終わったが、フリーで勝ち、カナダ大会では見事に優勝した。それに加えていつもの荒川静香さんのTVゲスト解説が何よりも嬉しい。

そこで今後の浅田真央選手にさらに期待したいのは、これから一人の大人になって女性らしさや優雅さを磨き演技の上でも格段に強い表現を見せたいというのであれば、言葉遣いも是非勉強して欲しいと思うのだ。環境や生い立ちによって言葉遣いにも品性が伴うものだが、これからは自分のことを指して人の面前で「真央はこうしたいの」とか「真央にはそう見えるの」とか、こういう幼稚な言葉遣いはやめたほうがいいだろう。人前では「私はこうしたいの」「私にはそう見えるの」というふうに、あくまで大人の主語を用いて欲しいものである。二十歳になった頃でもまだ人前で「真央は・・・」と言うようであれば、あまりにも将来が情けなく恥ずかしいから、なるたけ早く今のうちに少しでも大人の女性らしい言葉遣いも身に付けて欲しいと思う。教育とは他人から指導してもらうのではなく、自分が自分自身に課すから成長もするのであって、他人から受ける教育に甘んじているようでは、いつまでも自分自身は変えられない。知性には品性も表れるから、その品性を高めるには知的な内面も学ばねばならない。とりわけ自己中心的な、子供っぽい幼稚な言葉遣いは、競技の精神面にも影響は出るだろう。世界で認められている文豪の文学作品の一つでも読めば、また新たな大人の世界観がきっと変わるに違いない。何をどう学び、どのように教養も深めてゆくか、きっと強い精神力が底力となって自分を助けてくれるはずである。デュマ・フィスの『椿姫』でもいいし、ゲーテの『若きウェルテルの悩み』でもいだろう。コンスタンの『アドルフ』でもいいし、メリメの『カルメン』でもよい。これらの名作は読書することが大事だ。言葉を読んで文章を咀嚼することが大事だ。演劇や映画に頼ってはいけない。言葉を身につけることが精神につながるのだ。今季グランプリシリーズ・アメリカ大会での安藤美姫選手が演じた「カルメン」には、昨年の世界女王がさらに進化を遂げようとする強靭な精神力が見てとれた。果たして2007年のグランプリシリーズファイナル・イタリア大会トリノでは、最終的に誰が覇者となって栄冠を勝ち獲るのだろうか。とても楽しみである。

「”言葉”と遊ぶ」より (2007/11/06)

(2008/03/24)

トップページに戻る





制作・著作 フルカワエレクトロン
Copyright (C) 2007-2008 FURUKAWAELECTRON All Rights Reserved

TOP