うなぎ

 ジェシカ・サンローラン夫人がヘルメットを被って、異様な顔つきでエレベーター保全担当の三波を睨みつけていた。
「坊やは、どこ?」と夫人が三波に訊いたので、「この下ですかねえ」と三波は言った。「じゃあ、下に下がってください」と夫人が促すので、三波はエレベーターカゴを手動の押しボタンで少し下げていった。カゴの上に乗った二人は、まわりをキョロキョロしながら探した。ワイヤーロープで吊ったカゴの上は裸電球が点いて、エレベーター塔内の壁がよく見える。
「どうやってカゴの外に出たんですかねえ」と三波が不審がって言うと、「じゃあ昨日から、お腹も空いたでしょうねえ」と夫人は囁いた。そしていきなり大声で「マーヤ。マーヤ、返事してちょうだい」と叫び始めた。昨日、三波は消防隊に通報される前に、会社からの指示で急いでこの現場ビルに直行していたが、狭い特殊環境なので思うように発見できず、翌朝早くから主任の田中と捜索することにしたのだった。マーヤは素早く塔内を上下に移動してしまうので、飼い主の声なら早く捕まえられると思い、ジェシカ夫人に同行を提案したのである。マーヤは濃い灰色のペルシャ猫でオスの子猫とのことだった。田中はうなぎ屋ビルの主人と座敷でお茶を呑みながら捜索状況を説明していた。ビルは全室和洋客室の六階建てで、厨房は地下にあった。きっとマーヤは美味しそうなうなぎの匂いにつられてビル内に紛れ込んでしまったのだろう。マーヤは夫人の声を聞くて、どこからともなく現われて、夫人に跳びついた。
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短編小説集『ブルーベリーの王子さま』

(2020/10/26)

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