2020年の終わりに思うこと
電子部品と共に歩んだ35年
アニメ『鬼滅の刃』との出会い コロナ禍
アニメ『鬼滅の刃』との出会い
『鬼滅の刃』 ・・・ そもそも『鬼滅の刃』との出会いは、昨年2019年12月7日に山口県政資料館で、竈門禰豆子、胡蝶しのぶ、栗花落カナヲ、冨岡義勇、我妻善逸たちのコスプレ撮影から始まっていた。当初私は何のアニメのキャラクターなのか全然知らなかったわけで、当人たちにいろいろ教わって、持参していた手帳にもメモ書きしてもらい、どうやら「きめつの・・・」何じゃらというアニメのキャラクターであることが後々判って来た始末なのだ。何も知らずにコスプレ撮影するのは淋しいものではあるが、救いだったのは、コスプレイヤーたちが実に親切丁寧に教えてくれたことだった。その優しさは今も忘れられない。一眼レフを携えた、どこの馬の骨とも分からぬようなオジサンに根掘り葉掘り訊かれて、ちっとも不愉快そうな顔をしなかった若い女性レイヤーたちには感謝しかない。最高のショットを撮りたい一心だけでカメラを携えていたのだが、初対面の知らないレイヤーさんに声掛けするコンタクトには、自分でも以前からそれなりのルールをきめている。
先ず、こちら側の服装、身なりの印象と信頼感。怪しい人物には思えないように撮影アシスタント(妻)と同行。カメラはレンズの大きい(72mm)キャノンEOSの一眼レフ。持ち方も手慣れた感じで、プロカメラマンとあまり変わらない仕草で、要は撮影の情熱を認めさせる。声掛けした後も「撮影させてもらっていいですか」と必ず許可を取る。仮装したキャラクターの名前を必ず訊いて、手渡した手帳とボールペンで本人に直に書いてもらう。手帳も親密感を与えるようなものを使う。私が今使っているものは、マルマン社製の「セプトクルール」シリーズB7サイズにディズニーキャラの「ナイトメアー・ビフォア・クリスマス」の図柄アクリル表紙が付いたメタルバインダー仕様のものだ。コスプレイヤーたちが可愛らしい文字でその手帳にいろいろ書いてくれるので、私にとってはそれが大事な宝物となる。さらには自分の名刺も渡す。手持ちの名刺が無くなれば、手帳の最後に押した社名・住所・連絡先入りのゴム印を相手のケイタイで撮影してもらう。コスプレ撮影の工程には背景も考えて、ロマンスとファンタジーだけは念頭に入れておく。またレイヤーさんにもさまざまなヒントとなるような面白いキャラクターの要素を伺ってゆく。レイヤーさんとの共同作業といってもいいかもしれない。作品の表現にふさわしいポージングの要素は取り入れたい。顔は素顔よりも作品に合った表情が理想的だと思っている。レイヤーさんたちもそれを心得ているようだ。
だが、『鬼滅の刃』のコスプレ撮影は昨年12月の当日すでに撮り終えているので、もし私のフォト・ギャラリーのコスプレイヤーWebページにそれらを画像公開するとなれば、最小限の編集とレタッチは必要になる気がする。竈門禰豆子は表情がつかみやすいが、我妻善逸は作品キャラの落差が激しいので、とても難しい気がしている。今年は映画館での劇場版『鬼滅の刃』無限列車編が大ヒットして興行収入がすでに300億円越えし、『千と千尋の神隠し』(興行収入308億円)を超えると、ついに歴代第1位となる勢いもあって、これに便乗するわけではないが、私もあやかって『鬼滅の刃』のコスプレ画像公開をしようかと思ってはいる。コロナ禍のさなか、気分転換するには良いきっかけではあるだろう。それはともあれ、もう一つの偶然の出会いが、何やら『鬼滅の刃』とは縁があったようで、それはダイドードリンコの缶コーヒーとの出会いである。
実は30年位前からダイドーの自動販売機でよくコーヒーを飲んでいて、大抵はMコーヒーかアメリカンかブレンドオリジナルコーヒーかのどれかだった。ここ10年はずっとブレンドオリジナルコーヒーしか飲まなくなっていた。そんな日常のある日、いつものようにダイドーのオリジナルコーヒーを飲もうとしたら、缶に可愛らしいイラストがあって、後でネットで確認したら、それは『鬼滅の刃』に登場して来る真菰の顔であることが判った。初めて鬼滅缶に遭遇したのは、そんな10月上旬あたりのことだった。こんな可愛らしい缶コーヒーを飲んでいると、何だか爽やかな秋空の下で心地よい気分になってしまったのも確かだ。30年位前からのダイドー愛飲家なのは、フルカワエレクトロンを創立する前に、その前まで勤務していた電機会社がダイドーの自販機も設置していたからでもある。ダイドーの他にコカ・コーラ等の自販機もあったが、コーヒーだけはダイドーのものが自分には一番合っていた。それから30年の時を経て、偶然にも最初に真菰と出会ってからは、ダイドーの自販機だけに眼を付け、『鬼の刃』のラベルが貼ってあるものだけを押して飲むようになってしまったのである。
ブレンドオリジナルコーヒーと絶品微糖、絶品カフェオレの3種類に鬼滅ラベルが貼ってあるものにだけ、『鬼滅の刃』キャラクター全28種類のイラスト缶がゲットできるのだ。この素敵なデザイン缶は、12月16日初雪の降った現時点で、今では自宅に未開封のまま全28種類ともすべて揃っている。もちろん飲み干した缶も捨てずに飾ってある。自販機から出た際に初めから凹んでいたホット缶1個だけは、温い内に飲んで廃棄した。今やわが家の本棚には、アクリル板内に収納して飾ってあるフィギュアたちの上に整然と、それらの鬼滅缶はずらりと並べてある。蒐集してみると予想を超えて迫力があり、部屋の空気も一段とにぎやかに明るくなってキャラたちが実に面白く楽しい。私も今DVDレンタルで『鬼滅の刃』を目下初めから鑑賞しているが、作品のおどおどしい鬼の首斬り場面が満載のなか、ダイドー鬼滅缶の愛らしさには逆転の発想が見事というほかなく感心している。ダイドードリンコは視聴者の「観たい」という衝動と「飲みたい」という欲求の情緒をうまくコントロールしていると思う。鬼滅ファンにもアニメグッツ・コレクターにも、今回の鬼滅缶の愛らしさは、たまらない魅力ではなかろうか。近々、昨年2019年に撮影した『鬼滅の刃』コスプレイヤーさん達をいずれ私のWebフォト・ギャラリー(FURUKAWAELECTRON2)に紹介したいとは思っている。(備考:各所3つの小画像にはライトボックスを設置しましたので、クリックすると拡大してご覧いただけます)
(2020/12/17 ~ 2020/12/21)
不可思議なネーミングが覆った今年1年を振り返る
コロナ禍 ・・・ 奇妙な言語である。「withコロナ」に至っては「釈明」としてしか思えない。新型コロナウイルス蔓延が、さも当たり前であるかのような、疫病戦争に対して戦いもしない逃亡兵の造語・釈明としか思えない。また、疫病戦争であることが自覚できない無能力兵士か脱走犯の狡智からこぼれた釈明にしか思えない。まさか、こんな言葉を正当化する人間が国のリーダーあるいは全国自治体の長である知事が発しているとは思えないのだが、真に受けたメディアも一緒に発しているとしたら、奇妙奇天烈な言語と言っていい。「withコロナ」は実に間違った言語である。大衆を騙す指嗾(しそう)の表現である。政治家たちがよくやる「洗脳」と言ってもよい。「コロナ感染は仕方のないものだから、共生するしかないのよ、あなた方は」と逃亡兵のリーダーが言っているに等しい。
この新型コロナウイルスと同居してはならないのである。一旦体内に侵入したら長期にわたり潜伏し、やがて増殖したら、一気に肺を冒し、肺胞は線維化されて呼吸不全に陥る。若くてもこれに感染したら長く後遺症に苦しむことになる。「withコロナ」を標榜しているような、こんな無策無能のリーダーがいつまでも今の日本に君臨してゆくとは思えないのだが、どうやら全国民が犠牲になるまで高みの見物を続けるようで、他力本願だけはしないことだ。われわれ国民は泰然と自己防衛あるのみであろう。新型コロナウイルスの特徴とその恐るべきリスクをよく知り自己防衛するしかない。
人の命あってこその経済社会である。戦時下にあっては、ただひたすら自分の命を守り、家族の命を守り、人の命を禍から守り抜くことが優先されなければならない。
新型コロナウイルスを感染拡大させてしまったのは、日本政府の責任である。コロナを封じ込める真剣味が無かったのだ。叡智も無く学習能力も無く人の命に対して愛情も無かったのだ。危機管理能力の欠如は、今後とも感染拡大を許し、完膚なきまでに日本の医療崩壊を起こしてしまう運命を辿ることになる。近所のスーパーでは、マスクをしない中学生の何と多いことか。全国的にも同じ傾向にあるのでは。若い人は感染しても回復が早い、という「洗脳」を植え込まれたからだ。正しく恐れない日本の無教育によって、多くの高齢者たちが真っ先に犠牲になってゆくだろう。怒れる時は怒れよ、と詩人の金子光晴は生前わたしに教えてくれたが、怒りを出さない保身作家や有名人の何と多いことか。己れの懐のことしか考えていないようにみえるのは誠に残念である。正義の使者はこの国から消えてしまったようだ。経済なんてものはマインドであって、多少貧しても後で必ず持ち直すものだ。人間の危機を救うのは、カネではない。人様に役立つマインドのみが救うのである。2050年までに脱炭素社会すなわち温室効果ガス排出量を実質ゼロにすると国際歩調に合わせて掲げた日本であるが、30年後先を見据えていても、この今2020年の「ていたらく」の現状では説得力に欠ける。目の前の危機でさえ対処できないのに、30年後には自分たち政権覇者は存在していないだろうから、いい加減な逃亡兵たちではある。
2011年日本の3基の原発が水素爆発を起こして、世界に深刻な大気汚染と海洋汚染をもたらしておきながら、こんなひどい惨状をまるで無かったかのような、英語慣れしないカタカナ混じりの発信宣言「2050年カーボンニュートラル」に眼を向けさせようとする「すっとこどっこい」にも呆れるが、こんな情けない日本に、この先とても明るい未来が待っているとは思えない。それでも日本語という言語を持つ日本人は誇り高き民族であることを忘れてはならない。中国から漢字を学び仏教を取り入れ、勤勉な日本人はひらがなを自ら作り、1300年の堂々たる歴史を生んで来たのだ。その国史体系は見事である。日本人の英知と勇気ある行動力を信じたい。言葉というものは、正確でなければならない、と学んできたが、今ほど浮薄な日本語の羅列はおぞましいばかりだが、言語の衰退は思惟にも比例するから、日本語としての言葉だけはぞんざいに扱ってはならない。「コロナに負けるな」という言葉も、変である。コロナは勝ったり負けたりする対象物ではなく、敬遠して感染してはならない病原体ウイルスなのだ。まだ「コロナから逃げよ」と言ったほうがわかりやすい。科学的にも医学的にも感染症COVID-19にけっして罹患してはならぬ人間の敵なのである。感染拡大の一途を続けるこの疫病は、封じ込めないかぎり未来は暗い。人類は疫病戦争になるたびに、何年も闘い続けながらそれぞれの疫病を克服して来たのである。「withコロナ」は間違った安易な表現でしかない。自分が死んでみて初めて判る悔いを残す罰当たりな表現であることが、いつか後に知ることになるだろう。
(2020/12/08)
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