ハンダで音が良くなる?
純粋理論と信憑性から判断する音質のこだわりレポート
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このページに目を通すのも久し振りで、知らぬ間にもう1年余りが過ぎていた。というのも、再びここに書きたくなったのは、先頃、オーディオ雑誌系に某メーカー製の世界最高級なるハンダが完成したとのことで、その記事を全部読んで、「音がすばらしく良くなる」と科学的数値でもって自画自賛してあるのをみて、これは誇大表現にして、お客を騙すつもりだなと直感したからである。数量に限定があるので必要な方はお急ぎをとある。おまけに通販広告までしっかりしてある。値段も当店が販売している日本アルミット製のKR-19とあまり変わらない。何か口裏を合わせているかのような価格帯でもある。ハンダの新製品をPRするのはどこのメーカーであれ別に構わないが、問題は、そもそも半田付けでオーディオシステムの音が良くなる、と言ってるのは実に非科学的であると思ったからだ。本来100%信号伝送されるべきものが、半田付けされなければならない箇所で、半田付けによって信号伝送のロスが生じ、100%以下の損失が起きるから正常ではなくなっているのに、あたかもその高級ハンダを使用することによって、100%以上の良質なサウンドが得られるような表現をしているところが、まさに偽装表示そのものとなっているということだ。
何ゆえに初めから100しかない信号を150や200に出来るのか、つまりそれは、むしろ粉飾であり最初から非科学的で虚偽である。100以下の半田付けをいかに100に限りなく近付けるかがハンダ製品の優劣なわけで、100の信号はどんなに藻掻いても最高数値は100にしかならないのである。もし音が100から200になったと言うなら、それは100から100+形容詞になったということである。100万円以上のオーディオシステムで1年以上のエージングがされたサウンドが、たかがハンダ(されどハンダであるが)で音が良くなるというのであれば、それは大きな間違いである。一体どんなレベルのオーディオシステムで、ハンダで音が良くなると言っているのか不明だが、オーディオシステムのバランスでいえば、私の体験では、1本5万円のスピーカーと1本50万円のスピーカーとでは、聴き比べてみれば天と地の違いがあったということである。音が良くなるのはオーディオシステムの機器次第というのが現実で、ハンダを売り込むための偽装表示はいかがなものか。そのような良心のないところで音楽は鑑賞して欲しくないものである。まあ、そういう過剰な誇大宣伝をする人達が、とても音楽を愛好しているとは思えないのだが、本物かニセモノかはやはり何でも人格次第ということは共通のようである。
(2004/06/02)
先日、ハンダで音が良くなる、という話を友達から聞いた。それは、どこのメーカーで、どんなハンダなのかと聞くと、人からもらったものだと言い、メーカー名はよく判らないが、グット(太洋電機産業株式会社)のオーディオビデオ用ハンダSD-32のことではないだろうか、という結論に至った。価格は330円で線径1.2mm長さ約3.5mスズ60%融点190℃という代物だ。正直なところ、ホンマかいな、という思いはした。その友達も遊び半分で試してみたそうだが、信じ難いような魅力があるということだった。彼の言うことは100パーセント本当の話しかしない男なので、わたしもそのハンダがよほど優れものなのだろうとは見込んでいる。ただ、音が変わるということと、音が良くなるということとは違うので、実際に音を聴いてみないと何とも言えない。
そもそも音質には、各個人の好みもあるし、音楽ジャンルの形態にもずいぶん左右されるであろう。クラシック派はどちらかといえば、音質よりも曲の音色に感情が起伏するかもしれないし、日本ポップス派はどちらかといえば音質のクオリティーやピュア感、はたまたビジュアル系にこだわる感性を優先するかもしれない。実際に音楽をそのシステム機器で聴いてみたら、好きか嫌いかだけの極論に終始することもある。考えてサウンドを聴いているわけではないのだから、その日の気分や調子にもずいぶん振りまわされることにもなるだろう。わたしも意外にミーハーで俗人なので、いや思いっきりミーハーかもしれないので、音楽や曲の質感は理論で思考してゆくタイプではなく、あくまでサウンドは聴かないと納得できない人間である。
ところが、その友達はもともとが電気回路を設計し、自分で実際にD/Aコンバーターから何から何まで部品を集めて製作してしまうスゴ腕人物でもあり、また電機会社で働きながら電気回路設計を担当してメシを食っている男なのである。しかも、わたしよりも遥かに若い。背も高い。背丈は関係ないにしても、彼が技術理論で実践的に造る独自の音楽世界は一流だと思っている。彼の試行錯誤と研究熱心さには頭が下がる思いだ。そんな彼も認めるグットのSD-32が、安すぎるからといって、いい加減なものではないことは確かなようだ。
問題はここからである。オーディオケーブルにつなぐピンプラグにこのSD-32をもしかりに採用したとして、ケーブル導体とピンプラグの接合にSD-32を半田付けした場合の優れた効用とは、果たして何であろうか。カタログには具体的な合金成分やフラックス配合数値等は一切不明であるが、またそこが企業秘密でもあり楽しい魅力ともなっているわけだ。凡人俗人であるわたしは、つい単純にこう解釈してしまう。330円のハンダで音質が良くなるというのであれば、何万円もするオーディオアクセサリーの世界は愚の骨頂ということになりはしないか。数パーセントでいいから少しでも音をより良くしたいと願うマニアたちの気持ちは、一体どうしてくれるんだ、ということになりはしないか。音質のグレードアップに一生懸命になっていた長年の苦労は、どうしてくれるんだ、ということになりはしないのか。330円のハンダで長年の夢が叶うとしたら、これほど人生に滑稽なことはあるまい。しかし、一度はその安価なハンダに騙されてみたいのも本音で、何とも誘惑にかられてしまうから困ったものである。路上でマッチ売りの少女に声をかけられたような気分でさえあった。
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さて、世の中はデフレ不況とも相俟って大変不景気な時代がために、今や10年前と違って単品オーディオメーカーは背水の陣で、いや、それ以上に絶滅危機に瀕しており、さっぱり世間から姿を消してしまった感があるが、もちろん一部にはハイエンドのオーディオ世界の残党マニアが現在も健在ではあるけれども、大方の流行としては、ホームシアターの映像とオシャレなサウンドか美的ミニコンポの集約が、おそらく大半であろう。TV画面も大きくワイドな方がやはり楽しめるというものだ。鮮明で大きな画面の薄型プラズマテレビには、たまらない魅力があるが、そう簡単に買える代物でもない。価格も高いが場所の問題もあるから、ふさわしいそれなりの部屋も必要となって来る。まあ、あまり庶民的なものとは言い難いだろう。そんな消滅にちかい大衆オーディオの世界で、最近ケンウッドが業界で唯一復活しかけて来た兆しは、実に珍しい挑戦といえる。うれしいニュースを今年になって知ったものだった。
DVDと携帯電話の時代にあって、今時ハンダで音が良くなる話など誰も興味がないかもしれないが、わたしには重要な情報なのである。すばらしいサウンドを体験して来た人にはきっとわかってもらえるだろう。映画館でのPAアンプ・サウンドよりも鮮烈にして繊細、その上迫力満天のオーディオ世界の虜(とりこ)になってしまったわたしには、たとえ330円の安価なハンダとはいえ、絶賛の拍手を送りたいところだ。実際の半田付けの結果がどうであれ、その話題には頗る価値があるだろう。もちろんわたしの論理においては、音のヌケが良くなったり、目の前の曇りが無くなったり、純銀コートOFCのシルバーライン・ケーブルのような作用が出たり、音の輪郭が急に見えたり、音のキレが良くなったり、などなど想像に難くないが、ハイエンドのシステム機器において良質な音質が得られる比重の割合からすれば、ハンダの働きとはまったく異なった別次元のサウンドであるから、直接のハンダ効用純粋理論とは無縁のこだわりでしかないだろう。ハンダで何かが楽しめそうだという期待感と実験感覚にこそ貴重な価値が発見できるであろうと、わたしは判断している。音が変化するという現象と、音が良質であるという相関関係は、各個人の音楽モチーフによって構成される要因の違いであろう。音質を楽しむことが前提で、音質を咎めるのはむしろ非論理的ともいえる。
文・古川卓也
(2003/04/16)
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