電子レンジ
今月ある日突然、わが家の電子レンジの液晶時計表示が消えた。いろいろ触ってみたが、故障のようだった。毎日使うものなので、これは本格的な修理が必要だと思い、順次、チエックしてゆくことにした。私は電気工事士の資格を持っているので、修理してもよいことになっている。それぞれ、あやしい箇所から順次チエックしてゆくことにした。先ずは電気コンセントからACプラグを抜いた。
(1) ヒューズ 電子レンジ筐体の解体から始める。キャビネット筐体の側面には電子レンジ内部の回路図面が貼付してあり、真っ先に確認しておきたかったのが、電子レンジのヒューズだ。キャビネットは絶対に外してはいけないと注意書きがあったが、内部構造に注意しながら安全重視の電気屋さんでもある私は修理しなければならないので、先ずスチールの筐体を外してゆくと、電気回路の基板が見えた。電子レンジ専用のヒューズがあったので、取り外して、テスターで導通チェック。異常なしだった。ヒューズは切れてはいない。この電子レンジ用ヒューズは、冨士端子工業のヒューズカタログに記載されているものと同じ仕様のものだ。特性はタイムディレィ(Time
Delay)で型番はMWOというもの。寸法は、径6.35mm×長さ31.8mm。タイムディレィ型はUL規格用語で、通常の溶断型より規定に沿った条件で、やや遅れて溶断してゆく。
本来ヒューズには通常型よりも逆に早く溶断する速断型もある。機器の使用目的によって元来ヒューズは適時それぞれに応じて設置される。溶断スピードは、遅い順番から、
タイムラグ型やタイムディレィ型<通常型<速断型
の順番に分類される。
(2) 内部ショートの痕跡 電子回路の詳細は判らないが、電気回路にショートなどの焼けた痕跡がないか、一応調べてみた。それらしき痕跡は無かった。内部基板はどう見ても異常なし。
(3) ターンテーブル ターンテーブルの下に食品の焦げカスの固まりを発見。あらためて庫内をキレイに清掃。ターンテーブルのメカニックをあらためて知る。電源オフで駆動しない場合は、手で回そうとしてもターンテーブルは少ししか回らない。電源オンにすると、ターンテーブルの下にある支え軸が上側に少し持ち上がり、その状態で回転することが判った。安全センサでもあるのかと一旦は推測した。あらためて、電子レンジの筐体を組み立てる。が、なかなかうまくキャビネットが嵌まらず、悪戦苦闘。筐体の構造をよくよく確認してゆくと、スチール同士の複雑な嵌合溝を発見。左右側面続きの天板と正面機器との嵌合をうまく嵌めて、元の姿に成功。
(4) 液晶表示 電子レンジを元の水屋のスライド式の引き出し台にのせて、再びACプラグをコンセントにつなぎ電源オン。すると、液晶の時計表示が点灯。無事に電子レンジは直った模様。引き出し台を奥にひっこめて再設置。これで電子レンジの修理は直ったものと思いきや、またも液晶時計が非表示に。私は不審に思い、電子レンジのタッチパネルをいろいろ押してみたが、無反応の液晶は非表示になったままだった。通電なし、ということは、電気が来ていないことに疑念。で、電子レンジ本体の背後にあるAC電源ケーブルの付け根を少し手で押さえてみた。すると、液晶表示がまたパッと点灯。これは付け根の部分が半断線になっていることに着目。付け根の部分を外して、そこを修理してやれば直ると思い、確認のため、もう1回そろりと押してみた。これが失敗だった。
(5) ショート なぜ、その電源ケーブルの付け根部分が老朽化たように弱くなっていたのかを、先ずは考えるべきだった。電子レンジのスライド式置台が前後に可動式だったために、よくこれが少し飛び出すことがあり、電源ケーブルがひきずられて動き、知らぬ間に劣化を招いていたようだった。このわが家の電子レンジの使用期間はおよそ25年だが、この新しい食器棚に据えたのが2010年の頃なので、スライド式置台に設置してから約8年ということになる。つまり、17年間は固定の台に据えていたので、電源の付け根は強固なまま、時が過ぎて無事だったということが解釈される。電子レンジをキッチンに設置するなら、固定した台におかなければいけないことをあらためて思い知ったわけである。電子レンジ本体の背面から出ている電源ケーブルの付け根を数度押したことが悪かった。その部分からパチッと鳴って火花が出てしまい、ショートさせてしまったのである。ACプラグをまた外して、仕方なく付け根部分を筐体の中から引っ張り出してみると、電源ケーブルがコネクタに装填されており、二つのコネクタ端子を導通チェックしてみると、電源ケーブルが溶解して短絡しているようで、これを直すには、電源ケーブルを外し、悪いところを10cmくらい短く切って、新たに半田付けして、コネクタに接続してやれば復活するかとは思ったが、ショートさせた時、内部回路に不具合でも生じていれば、かえって危険と判断し、電子レンジは買い換えることにした。火災の原因にでもなりかねないので、25年間も使用してきたのだから、お疲れ様、ということになった。
(6) 廃棄と新品 壊れてしまった電子レンジは、車で市内の巨大なリサイクルプラザまで持って行って処分した。宇部市環境保全センターで不燃ゴミとしての廃棄料金は280円だった。想像以上の格安である。電子レンジは25年の歳月が経つと、ずいぶん使いやすいものになって、オシャレになった。私はリサイクルプラザを後にすると、市内の家電量販店コジマに向かった。ネット広告に出ていた白色の電子レンジを予定通り購入した。重量は相変わらず重くて、12.5kgだった。廃棄したものよりも0.5kgほどは軽くなった。家で新品を設置する際、スライド式置台には左右に楔のようなものを入れて、飛び出さないような工夫をして設置した。この水屋には他にもスライド式の可動置台があり、炊飯ジャー用のものとなっている。広いスペースには食器乾燥機などもあるので、新品電子レンジは従来の場所にやむなく置くことにした。結果として、電子レンジは固定台に置くべしと今更ながら反省した。
【備考】 電気資格をお持ちでない方は絶対にマネしないで下さい。筆者は電気工事士の資格を所有しており、長年の実体験も豊富にあり、上記体験談を書いております。
(2018/10/25)
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AI(artificial intelligence)
文明は進化してゆくのに、人間の身体は一向に進化しない。むしろ年齢を重ねるごとに、退化している。しかし、医療だけは進化してゆく。先進医療のおかげで、われわれ人間の寿命はますます延びている。生きれるかぎり、誰でも健康で生きてゆきたい。では、エレクトロニクスの世界では、どうだろう。
人が何かに向かってしゃべれば、人の音声をひろって瞬時に解析し、判断して機械装置を安全に動かす。手足など不自由な障害者にとっては便利なAI装置でもある。用途に応じては、AIは未来への希望となる。EV車に自動運転のAIを搭載して、行きたい所まで行けるようにナビをセットしてやれば、自動で目的地まで運んでくれる、そのような時代が間もなく来るのだろう。道路を走るより、いっそ道路の上を飛んでゆく乗り物でもあれば、そちらのほうが遥かに安全な気がするが、映画のようにはゆかないだろう。100年後、200年後には、それにちかい世界が実現するのだろうか。人間はAIよりも遥かにすぐれたセンサの塊りを搭載しているのだが、所詮は、AIは人間のサポートくらいにしかならないかもしれない。数学的にはAIロボットのほうが人間よりも遥かに凌ぐ計算力を持っているので、将棋の対局などにおいては、AI搭載の電子ロボットのほうが有利だろう。AIは文明の進歩ではあるが、文化には乏しい。蓄積された知識を判別するだけで、自らが創造することはない。機械は電気で動くが、電気回路や電子回路に電流は流れても、感情は流れない。当たり前のことなのだが、なぜか人間は時に、脳にセンサ・パットを付けて、脳が働くエネルギー信号を波形に変え、量子レベルを電子レベルに変換してまで、人間の持つ感情や人格までをも科学分析しようとする。医療につながるのであれば、これも正当な道筋なのかもしれない。人間は着実に進化していると確信するが、ハイテクは時に傲慢でもある。つい、映画『ウォーリー』(2008)を思い出す。
修理
作れば、壊れる。歴史を繙くと、形あるものはいつか壊れるもので、それを人間はいつの世も繰り返している。しかし、作らなければ、人間ではないような気がする。動物や生物や昆虫は棲家こそ作りはするが、人間が作り出すような文明や文化は作り出すことは出来ない。当Webは電子部品販売専門店なので、エレクトロニクスの世界に限って考えてみる。
いったい、これまでどれほどの人達と関わってきたのだろう。電子部品販売を続けて今年で33年にもなるが、わたしの知識や技術は一向に進歩もせず、これといったものがまるで無い。そんな、ど素人のわたしのまわりには、いったいどれほどの優れたエンジニアが往き来していったのだろう。何百万人とまでは言わないが、実店舗とネットショップで関わってきた単純計算をしてみると、何十万人かのエンジニアと関わってきたのは間違いなさそうだ。別に電気専門のエンジニアでなくても、他の職人でありながら、電気のプロも多い。趣味が高じてプロのエレクトロニクスエンジニアも多い。日常ごく普通に暮らしてゆく上で、ありとあらゆる分野でエレクトロニクスの世界と深く結びついてしまうのだろう。今日、電気は不可欠である。趣味や仕事を続けてゆく上でも、案外と不可欠なものである。
作る人もいれば、修理される人もいる。研究する人もいれば、実験される人もいる。昨今では修理される人がきわめて多いような気がする。自然災害が多いのも要因しているかもしれないが、いろんな機械や電気機器の寿命にもよる。昔の日本はいいものをたくさん作って来たが、1990年頃を境にして、バブル崩壊後、高価な贅沢品は少なくなり、ちゃちな機器が出始めて来たような気もする。つまり、寿命が早い機器を作ることで、製品の買い換えを暗黙の内に勧めているのだ。ところが、製品の中に組み込まれている電子部品だけは、機器の外観からは見えずに、進化し続けている部品が多い。性能もアップするし、コストダウンにもつながっている。エアコンやブルーレイレコーダーや液晶テレビがそうだ。では、何が故障してゆくのかといえば、それはファジーである。新しい製品だから当面は故障しないかというと、それもファジーである。電器店の先輩がよく言っていたのは、それはたまたま運が悪い家電製品に当たってしまったのだと、そう言っていたが、自動車でも言えそうだ。わたしにもいろいろ心当たりがあるから、なるほど、運が悪いだけなのか、と思いたいところだが、買った側からすれば冗談じゃない、と言いたい。家電量販店は5年保証期間を設けているが、5年過ぎると、案外と機器は脆さを露呈してくる場合もある。その多くが日本製ではない。
現在も買い換えずに現役で生き続け稼働するわたしの自慢の所有物を恥ずかしながら述べてみると、最高齢の家電商品は48年、次が38年、ハイエンド・オーディオ機器に至っては28年、いずれも名高い国産品と、スピーカーだけアメリカ製である。不滅の名器と言いたいところだが、それなりに使用し続けて、エージングは怠らないのだが、いつかは動かなくなるのであろう。その前にわたしの寿命のほうが心配でもある。機械よりも人間のメンテナンスが欠かせなくなってしまった。わたしは実は2週間前に命懸けの大いなる決断をして実行しているのだが、自分の命には自分の叡智と意思で向きあいたいと思っている。修理は人任せではなく自分自身の情熱だと言いたい。人間の身体も情熱なくして、何の意味があろうか。活きるとは、そういうことではないだろうか。
(2018/10/05)
文・古川卓也
(トップ画像は2019年3月やまぐちきららドーム模型展示会にて撮影)
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