「わたし、そろそろ家に戻らなくちゃいけない」と元カノは言いながら、自分の車に戻った。私はやれやれと思いながら、車のエンジンをかけた。すると、車の左後ろのドアが不意に開いて、「この子だけお願い」と元カノは神頼みでもするかのように、「夏雄、あなたの本当のパパよ」と言うや、男の子を後部座席に無理やり乗せていた。 「おいおい」と私は慌てて運転席を出ると、元カノの腕を捕まえた。 「おい。いい加減にしろよ。子供を何と思ってるんだ。荷物じゃねえぞ」と怒りながら、逃げようとする元カノを思い切り叱りつけた。元カノは大粒の涙を浮かべて、 「だって、これから三人で親子心中するんだもん。あの子だけ、お願い。あなたの本当の子供なんだから。助けてやって」と元カノは私の足にしがみついて懇願してきた。 夏雄と名付けられていた男の子と信州旅行に出掛けることになった私は、釜トンネルのゲートが開けられていた上高地にひたすら向かっていた。元カノから託された夏雄は保育園も幼稚園も通っていなかったので、不愍に思った。一つ違いずつの妹たちと離ればなれになってしまったが、さほど淋しくもなかったようだった。勝手気儘な親の元に生まれて来たばっかりに、自分の人生が翻弄されているとは露知らず、見ず知らずの私を本当のパパだと言いくるめられて、「ねえ、おじちゃん。おじちゃんはボクのパパなの?」と言われては全く世話ない。 |
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短編小説集『ブルーベリーの王子さま』 (2021/01/12) |ホーム| |