バレンタイン 中堅企業の池光エナジーに勤務する営業一課の蕗子は、毎年の習わしだった義理チョコは今年から一切買わないと心にきめていた。本命のチョコを差し出す相手が今いるわけでもなく、単に面倒臭いだけだった。化合物研究所のチーフ助手田浦マイキーに昨年ふられてしまったのが原因だったかもしれないが、マイキーにはそもそも付き合っている彼女がいたことを承知の上で特別なチョコを手渡していたのだった。ライバルが何人いようと、いつかは自分にも靡いて来るチャンスがあるような気がしていたのだが、それは空しい思い上がりにすぎなかった。 いったい何年同じことを繰り返しているんだろうと二十六歳の蕗子は、二月十四日が近付くにつれ、ついにこの日の呪縛から自分を解放することにしたのだった。 「ねえ、ふきちゃん、今度、岩田屋に行くでしょ?」と同僚の伊津子が後ろから声をかけてきた。 「今年のショコラは、去年と全然ちがうんだって」と伊津子は蕗子の前に顔をのぞかせた。蕗子はそんな新しいチョコなど興味が湧かなったが、岩田屋に出掛けるのは抵抗がなかった。去年も四人で岩田屋のジャン=ポール・エヴァンで高級チョコを買ったのだが、蕗子は自分用のチョコなら買ってもいいかと思い、本命チョコも義理チョコも絶対に買わないと心にきめており、そこはバレないように振る舞うことで岩田屋には付き合うことにした。 「わたしと、いっちゃんと、ミルクに菜々実ね」と蕗子は訊い |
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短編小説集『ブルーベリーの王子さま』 (2021/02/08) |ホーム| |