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花崗岩と石仏誕生までの軌跡を探る
文・ 古川卓也

(1)自然石の花崗岩に石仏はどのようにして彫ったのか、第一の謎


石仏を彫りやすい軟質の安山岩・凝灰岩・砂岩・石灰岩に対して、その一方で、1~2kgもある鋼鉄ハンマーを振り上げて石鑿(たがね)(タガネ)で叩けば火花も散ろうかという硬い花崗岩には、一体どのようにして石仏は彫ればよいのであろうか。まして、山中の崖にある露出した自然石の花崗岩に、削岩機も運べないような場所で、一体どのような工具と技術で石仏を彫ることが出来るのだろうか。電気がなければ、石材用ダイヤモンドカッターのジスクグラインダーも、コンプレッサーのエアー工具もエアーポリッシャでの研磨作業も何もかもが出来ない。大がかりの機材を軽トラックで搬入も出来ない山中では、現代の技術で以ってしても難解だし、実に厄介な作業である。

現在でこそ、タガネひとつ取っても、各種サイズのタガネの先端にタンガロイという特殊金属のチップ粉末が埋め込んであって、磨耗も少なくて済むようだが、それでも工作用の一つの手頃な安山岩の石彫を工房で完成するまでには、何本あっても足りなくなるほどタガネの先は磨滅してしまようだ。それにハンマーの使い分け技術も必要となる。装飾レリーフ用の細いタガネには1kg以下のハンマーを使い、荒彫りのための削岩では1.5kgや2kgのハンマーを使用するらしい。タガネに合わせてハンマーにもたくさん種類が必要となる。石彫の仕事は、実は荒彫りの作業が最も重要だそうで、例えば丸彫りであれば、3トンの原石だとすれば仕上がった作品は約半分の1トン半になって、つまりは残りの1トン半が削りとる作業になるらしい。その削りとる作業たるや、想像を絶する根気の要る重労働なのだ。

有帆菩提寺山磨崖仏は丸彫りではなく半肉彫りではあるが、半肉彫りであっても、その花崗岩の岩石削岩作業は、モース硬度6の硬さを考慮しても、途轍もない怪力がなければ削り続けることなど出来やしないのだ。しかも3メートル余りの像高と70センチの蓮華座を持つ大きさなのである。かなりの握力と体力がなければ、花崗岩を削り続けることは出来ない。相当剛力の数多くの作業工夫がどうしても必要だ。まして、古代人が彫ったとすれば、一体どのような工具を使用して、どのような技法で以って、現代にもかなわないやり方で彫ることが出来たのであろうか。実に謎めいてさえ思える。弥生時代・古墳時代には鉄製の利器が使われるようになったので、奈良時代中期にもなれば、より優れた石鑿や鉄槌ハンマーもあったであろうが、磁鉄鉱の硬度がせいぜい6.5だから、鉄鉱石を製鉄する技術があったとしても、花崗岩を彫る鑿の先端は著しく磨滅したであろう。現在、このような花崗岩の巨石仏を彫ろうとすると、タンガロイのない鉄製の石鑿であれば、先ずは火造りの工程が大変らしくて、彫り上げる当人がこだわる道具としてのタガネの数はおよそ2日で50本くらいは揃えなければ歯が立たないようである。石仏完成までのこの連日の作業は、一体どのくらいの日数を想像すればいいのだろうか。どのように割り出して、また、どのような技法を、われわれは解明しなければならないのだろうか。しかも現代芸術のようなモダンなモニュメントではなく、表情に慈悲をたたえた精緻な聖観音菩薩立像である。美術品としての意識もない、純粋無垢な古代人の峻厳な信仰心のみである。


現代の工房における軟質の安山岩による石彫であれば、荒彫り作業の場合、その重たい1.5kgハンマーを振り下ろす回数は、1分間に60回くらいの割で振り下ろすペースらしい。仕上げにおいては、1kg以下のハンマーで1分間に80回くらいのペースで細かく叩き続ける作業になるとのことだ。長年の経験で、一定のリズムで打つのが最も効率が良く、しかも疲れない方法とのことだ。それでも大変な労力の要る工程である。元来、山から運んで来た岩石を石材用に加工して、それに芸術作品を彫る話であれば何の不思議もないわけだが、あらためて山中の自然石の花崗岩にあれほどの美しい聖観音菩薩立像が彫られているのは、確かに神秘的ではあるけれども、制作が古代のものだとして、それが実際にどのようにして彫られていったのかを追求すると、実に謎が深まるばかりである。工学的にどのように制作方法を説明すればいいのだろうか。技術理論的に解明されないと、古代制作説にも自信がなくなりそうだが、では、現代の技術理論を展開していって、どのようにして彫ることが出来るのだろうか。かりに電動工具を用いない手作業を選択したとしても、それと同じ石仏を彫ることが現代人に果たして可能であろうか。もし、不可能であれば、古代とは根本的に異なる要因がそこにあるのではなかろうか。いったい何が現代とは違うのかを検証してゆくのも、今後の一つの手がかりかもしれない。

【参考資料】  『石に聴く 石を彫る』(關 敏 2000年 里文出版)

(2006/08/09 推敲)  (2006/08/02)

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