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音質で豹変する映画の魅力

映画 『ヴァレリアン 千の惑星の救世主』

   記述順 2018/02/05  2018/04/09
       映画 『ヴァレリアン 千の惑星の救世主』はどう楽しむべきか
       映画のハイレゾ音源は毒薬?
       映画 『ヴァレリアン 千の惑星の救世主』を映画館で鑑賞

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 映画 『ヴァレリアン 千の惑星の救世主』を映画館で鑑賞

映画『ヴァレリアン 千の惑星の救世主』(2017)を映画館「MOVIX周南」(山口県下松市)で先日鑑賞した。映画館の音質に正直おどろいた。わたしが理想とする音質にかぎりなく近いものだった。シネマサンシャイン下関のドルビーアトモスサウンド(シネマ6)よりも、より身近なアナログ音域が充分すぎるほど行き渡っていた。左右の壁に取付けられて並んだスピーカーを見て、下関のそれよりもひとまわり大きく、数こそ少ないが、アトモス仕様スピーカー配置が無くとも、すばらしいサラウンド音響状態だった。当然ながら映画自体に収録されているサウンドの良さが全面にあふれていたのも事実だ。ドルビーアトモス、ドルビービジョン、DTS:Xなど収音収録満載の上出来だった。さらに、荒唐無稽なほどに愛らしく登場して来る生き物たちやおぞましい怪物たち、宇宙人たちの多さといい、平和だった美しい惑星ミュールに突如空から降り注いで来る銀河都市破壊破片の凄まじい光景には、人間が企んでいた核攻撃による核爆発が原因で、いともたやすく惑星ミュールは消滅してしまうのだけれども、次から次へと切り替わってゆく映像の変幻自在には、有無を言わせぬ描写力とアクション・シーンの連続で見事な映像だった。ただ、ストーリーが前後して、複雑というよりも厄介な作品ではあった。何も知らずに最初から観ていると、サウンドに惹かれ、映像シーンに巻き込まれて眩暈(めまい)がしそうだった。本筋よりも視覚効果を優先した作品なのかもしれないが、鑑賞していて確かに楽しくはあった。ちょっと風変わりなスペースオペラでフランス映画史上最高額の製作費をかけたSF映画作品だけのことはある。

この映画の元となる原作については、パンフレットに詳しく紹介されており、ピエール・クリスタン作、ジャン=クロード・メジエール画「ヴァレリアン」のマンガらしい。フランス語圏ではバンド・デシネといわれているそうだ。日本のマンガ本とは異なり少々作り方が豪華で、A4判サイズでハードカバーの表紙となり、中面はオールカラー、ページ数は50ページほどくらい、日本の絵本っていう感じかな。バンド・デシネとして普及しはじめたのが第二次世界大戦後間もなくのことで、子供向けの娯楽にとどまらず次第に大人でも楽しめそうな多様性があらわれて、1960年代後半には「ヴァレリアン」らしいものが登場して来たようだ。映画『ヴァレリアン 千の惑星の救世主』の原作は、そんな時代の1967年に誕生した作品「ヴァレリアン」が元となっており、週刊誌「ピロット」に連載され、当初のタイトルは「時空警察ヴァレリアン」だったとのこと。その雑誌は1980年代末に廃刊になるが、その後も単行本は描き下ろしで刊行され続けて、2010年についに21巻で以って完結したもようのようである。現在、ヴァレリアンとローレリーヌの馴れ初めを描いた0巻と、総合的なガイドで納められた22巻とを合わせ、全23巻のSFバンド・デシネとして完結しているらしい。販売部数は累計250万部以上とのこと。40年以上もの歳月をかけて描き続けられたSFマンガ・シリーズ「ヴァレリアン」であるが、実はこのマンガには、かの「スター・ウォーズ」シリーズ製作への影響も秘められていたようで、パンフレットから少し長くなるが抜粋して引用しておきたいと思う。あまりに宇宙でのアニメ物語が複雑すぎて、かといって、宇宙でも変わらない若い男女の恋愛馴れ初めにも執着しており、いかにもフランス風俗健在なのだが、そんなこんなで物語をより深く理解したいためでもある。


「時空警察ヴァレリアンとローレリーヌの宇宙を股にかけたさまざまな冒険を描きつつ、彼らの本拠地である銀河宇宙帝国の首都ギャラクシティの歴史改変による消滅とその復活を語る壮大な物語である。本映画の原作となったのは、主にシリーズ第6巻に当たる『影の大使』、そして第2巻『千の惑星の帝国』。前述した通り、1960年代後半以降のバンド・デシネは、その鮮烈なビジュアルで一世を風靡した。メビウスしかり、ドリュイエしかり、エンキ・ビラルしかり。メジエールも例外ではなく、世界中のクリエーターが彼のアートに影響されている。当時のさまざまなSFアートを総合した感のある『スター・ウォーズ』が、やはり『ヴァレリアン』を参照していると言われ、その影響を検証する記事も存在している。それによれば、両者にはビジュアル面において、さまざまな類似が認められる。」

(パンフレット『VALERIAN / AND THE CITY OF A THOUSAND PLANETS』、COLUMN バンド・デシネと映画『ヴァレリアン』より抜粋 翻訳家・原正人)

(2018/04/09)



 映画 『ヴァレリアン 千の惑星の救世主』はどう楽しむべきか
  (Valerian and the City of a Thousand Planets)

まだ観てもいないSF映画を論評しようなんて毛頭もないが、昨年夏7月、この映画は欧米中国主体に世界に公開されはしたが、日本ではやっと今年2018年3月30日に公開予定の作品となる。単純に注目している理由は、このフランス漫画の原作をペーストにしたSF映画の監督・脚本・製作をリュック・ベッソンが手掛けたことにある。フランス映画史上過去最高額の破格200億円超もかけて製作した作品が、興行収入で損失を出そうが出すまいが、作品の評価はそんな採算ベースで判断すべきではあるまい。映画とは、芸術作品とは、理解されないところから始まるものだからである。日本映画の『君の名は』(1953-1954)と『君の名は。』(2016)現象と酷似している。63年前の古い映画『君の名は』など今時の人達は誰も観まいが、現代の美しい新感覚アニメ映画『君の名は。』は、日本の映画界史上、空前絶後の興行収入を得て、世界と合わせると432億円をたたき出しているらしいから、誠に恐れ入る。ただ、それは数字上での解釈である。古い映画『君の名は』でも63年前の当時では、やはり絶大なる人気を博して配給収入は当時第1位となっている。『君の名は』VS『君の名は。』については、シネマ日記2017で書いたので、ここでは必要以上には触れない。

時代は変わり、映画の真価について考えるなら、今の若い世代から年配の客層に至るまで、多くの現代人からは新海誠監督の作品『君の名は。』には圧倒的な観客動員数の支持人気を得るだろうが、わたしには圧倒的に古い『君の名は』の方に頗る高い価値を見出し軍配をあげる。わたしが感じる面白さの点で、古い『君の名は』の方が遥かに面白いのだ。同じアニメ映画でもアメリカ映画のアニメの方がわたしは遥かに好きなので、好みの違いはどうしても出てしまう。最近では『カーズ/クロスロード』(2017)を先々週にレンタルBDで鑑賞しているが、アニメ映画やTVマンガはもともと昔から好きで、日本ものでも外国ものでも、これまで数え切れないほど観て来ている。半世紀以上にわたって観て来ているから、どうしてもいろんな影響は受けてしまう。品定めや目利きにもうるさいかもしれない。その意味でも、新感覚日本版アニメ映画『君の名は。』は、さほどに面白いとは思わなかった。年齢のせいもあるだろう。面白いものに贅沢になって来ているのだ。今のお笑い芸人が何をどうしゃべろうが、わたしにはまったく面白くないので、笑えるモニタリング番組でもまだ探したほうがマシとなっているのと同じである。価値観とは、ヒューマニティーであり、感動であり、心をときめかすものでなければならない、と考えるわたしは、心を打たないものにはスルーしがちになるのだ。不器用な作品であっても、心を感じさせるものには視線がそちらに傾くのである。

さて、破格の製作費で作り上げたSF映画でありながら、興行収入が思うように振るわなかった『ヴァレリアン・・・』は、果たして本当に面白くないのだろうか。昨年、全世界の映画評論家から酷評されてしまった『ヴァレリアン・・・』であるが、リュック・ベッソン監督たるものがそんなドジを踏むなんてわたしには想像し難いのだが、SF映画というものに対しては、物語よりも、映像や音質を重視しているわたしにとって、一場面一場面、楽しめればいいのではないかと思っている。そもそもSF映画とは、大抵が荒唐無稽なものであり、支離滅裂なものではある。非科学的であり、非物理的であり、アホかいなと思わせるものを、いかに実写化して、さもありなんとする絵空事ではあるまいか。それを大真面目に、物語が薄っぺらいだのキャスティングが悪いだのと、リュック・ベッソン監督に対して敬意が足らなさすぎる。そんな些細なことを気にかけるようなリュック・ベッソンではないと思うが、原作をいかにリアルな脚本劇として映像化してゆくことの難しさにむしろ注視したほうがいいのではなかろうか。予告編を観るかぎり、これはとても面白い映画なのではないかと確信をしている。あの『LUCY / ルーシー』の監督であり、『ニキータ』や『レオン』、そして『フィフス・エレメント』や『アーサーとミニモイの不思議な国』などの監督である。一級の作品を製作するような監督は、けっして二流の作品は仕上げられないように眼が肥えてしまっているから、スポンサーも多額を投資するはずなのである。さらに、この『ヴァレリアン・・・』は3D版BDが販売されれば、わが家でも映像・音質が確認されるので、わたしはそれらが検証されるまでは、この『ヴァレリアン・・・』に関しては評価しないつもりだ。

映画『ヴァレリアン 千の惑星の救世主』で主役を務めるデイン・デハーンについては、最近レンタルBDで『キュア ~禁断の隔離病棟~』(2017)というホラー・サスペンス映画を観たが、風変わりな印象を帯びた個性俳優におもえた。『ヴァレリアン・・・』には、ふさわしいのではないだろうか。一方、相方のカーラ・デルヴィーニュは『スーサイド・スクワッド』(2016)や『PAN ~ネバーランド・夢のはじまり』(2015)などの脇役に出演していたようだが、それらの映画はわたしも観ているものの、彼女の存在感には記憶なし。なぜ『ヴァレリアン・・・』は酷評されたのか、鑑賞後の楽しみではある。化け物や遥か宇宙かなたの生き物類が満載のようなSF映画なので、フランス版初の『スター・ウォーズ』になりかけて、どうやら失速しかけて来た要因はいったい何だったのか、興味深いところでもある。だが、そんなことは、わたしにとってはどうでもいいことで、自宅で観る映画が、オーディオ・ホームシアターでどんな豹変ぶりをみせるのかが、今は楽しみなのだ。音質次第で、映画鑑賞は天地の差があることだけは間違いない。もっぱらTV画面とTVの音声だけでのみ映画を観るのと、オーディオ・アンプを通して観るのとでは、180°感激と感動が増して迫るのは確かだ。ブルーレイの進化とTV画面の進化だけではなく、映画製作現場用の撮影カメラや音源収録の最先端技術によって、とんでもない映画が次々に生まれて来ているのを、いろんな新しい映画で体感できるのは、実に興味深く楽しいのだ。



 映画のハイレゾ音源は毒薬?

ブルーレイディスク(BD)の音声には、DTS-HDマスターオーディオ7.1ch(ロスレス)の英語と、DTS-HDハイ・レゾリューション・オーディオ7.1ch日本語というのがよくあるが、わたしの個人的な評価としては、さもしい吹替版への妥協の産物としてしか思えない。英語と日本語の違いに壁が築かれた感じ、という代物の副産物に思えてしまう。映画の世界では俳優が英語でしゃべり、ストーリーの音響効果もほぼ原音となるのに対して、まるで時空を曲げるようなハイレゾ効果音の音源づくりのなかに日本語で吹替されてしまうから、英語と日本語翻訳字幕の世界観とはまったく違った世界で体感するような違和感が生じるのだけれども、この流れは日本人が洋画を観せてもらう立場にあるから、宿命の歪みと言っていいもので、背負うしかない。シビアに異なるわけではないが、ナチュラルな英語世界観に対して、高域音がやたら煩わしいというだけの違いである。昨今のハイレゾ・ブームに便乗した形にしかおもえない。マスター音源がいかにすばらしいか、日本は音質に対して原点に立ち戻るべきではないのか、と思案する今日この頃ではある。つまり、英語版ではけっしてハイ・レゾリューション・オーディオにはならないし、これは日本人のためのカッコ付けにすぎないのではなかろうか。経済優先の日本に対して米国からの情けとも思える。世界最高峰の映画づくりができない日本への憐憫であろう。日本やアジアの映画市場はアメリカにとってもドル箱になるからであろう。ただし、このBD類は日本国内の配給ジャパン会社で作られているのを忘れてはならない。洋画はやはり字幕で観るべし。20kHz以上の40kHzや100kHzでの人の耳には聴こえないハイレゾ音源の役目って、どんな意味があるのだろう。ヘッドホンで映画鑑賞する日本人のために開発されているとしたら、それは少し違うんじゃないのかな。マスター音源の忠実な再生こそに、映画の魅力は全開となるのでは。

それにしてもディズニーはいい映画をよく作る。ここに推薦したい映画を一つ紹介しておこう。『パイレーツ・オブ・カリビアン / 最後の海賊』(2017)。これは最高峰のすばらしい音源を有している。建物を引き摺るシーンなどは必見。映画マニアのみならず、オーディオ・マニアにとっても、すばらしいサウンドに感動するだろう。映画もなかなか面白いのは言うに及ばず、海賊ジャック・スパロウ(ジョニー・デップ)らしい展開になってゆく。オーディオ・マニアは是非DTS-HDマスターオーディオ7.1ch(ロスレス)の英語版で鑑賞すべし。ついでに、追記しておかねばならないことがある。『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』(2015)を購入したBDであらためてオーディオ・アンプ・ホームシアター鑑賞したが、最高の映画であった。音声はもちろん英語でDTS-HDマスターオーディオ7.1ch(ロスレス)の良さが実に最大限現われて、すばらしかった。レイア姫も美しく齢を重ねて、髪型は当時とは異なるが編み巻かれた王女風情の巻き髪は、若かった頃のレイア姫を彷彿とさせるものだった。耳の真横に大きく渦巻きのように編み込んだ特徴ある若きレイア姫が、長い歳月を経て、上品なレジスタンスの将軍となり、ハリソン・フォード演じる老いたハン・ソロとの再会、そして優しい抱擁には、何とも言い知れぬノスタルジアを帯びていて見事だった。闇の力によって帝国軍の支配下で統率する冷酷なカイロ・レンこそは、実はハン・ソロとレイア姫とのあいだにできた息子であるが、親子の絆は改悛させるもむなしく裏切られ殺されてしまうハン・ソロ。父親の説得を受け容れるかのように振舞う息子カイロ・レンのおぞましい悪行は、善と悪の判別にしこりを残すものになってしまった。ストーリーはさておいて、立体キューブの空間を変幻自在に疾駆するサウンドはパーフェクトな出来具合だった。『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』はこれで3回観たことになるが、あらためて映像のリアルさと音質のダイナミズムに感動した。観れば観るほど魅力が新たに発見できる、いい映画だった。シネマ日記2018にも追記したいところだが、いずれ違った角度から追記しても面白いようだ。

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文・ 古川卓也

(2018/02/05)


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