文字サイズの変更: | 小 | 中 |大|
存在の定義
ニッキーがゴーストの気配を感じていたのは、演技のようなジョークみたいなもので、次男のミッキーや三男のアランには通用するジョークだったかもしれない。私はそもそも霊感や怪奇現象といったものを認めていない。何らかの偶発的な珍しい現象が重なることで、それを霊魂だの先祖の霊だのとか言って、実に非科学的な空想やこじつけ、あるいは催眠、作為の暗示、などの先入観意識を弄ぶ企みがそこに働いているものと思っている。ひどくて見ていられないのは、そんな霊感商法で商売したり、占いで多額の金銭を巻上げて儲ける者もいれば、一方で、騙されてみたい、楽しくありたいと願う、霊魂などの空想の世界が大好きな天邪鬼もたくさんいるということだ。世間虚仮とはここから始まっている。世間の常識や徳を大事にする者もいれば、世間を騒がせてみたいと思う反逆者もいる。まあ社会にはいろんな人間がいるわけだ。私は子供たちが洗脳されたり、そんな社会の落とし穴に落ちないためにも、数学や理科、科学や物理、といったものがこれからはとても大事だと思っている。成績が良くなることよりも、それらの理数的な学問に少しでも関心が持てて、ほんのちょっとでも理解できる人間になってくれれば、悪い大人の罠や甘い勧誘、詐欺行為、偽装などにも、ちゃんと物事の本質が見破れる現実的な人間に育ってくれるのではないかと考えているのである。
そんな中で、今は長女のシャロンがとても気がかりだ。もうすぐ高校への入学試験があるわけだが、志望校は普通高校に行きたいはずなのに、大学への進路をやめて、商業高校に行きたいと言っているのだ。わが家は確かに裕福ではない。しかし、大学に行きたいと思っている気持ちが本人にあるなら、私達夫婦は無理をしてでも娘を何とか大学まで進学させてやりたいとは思っている。
シャロンとはこの年の夏からまともに親子の会話をしていない。ママとは会話しているようだが、私とは口を利きたくないようだ。私のこのヒゲ面の顔がよほど嫌いなようだった。8月のお盆の頃が、最後の会話となっている。
「わたしを勘繰るのはよしてよね」とシャロン。
「心配ぐらいしたっていいだろう」と私。
「進学は自分で決めたことなんだからさ、とやかくあんたなんかに言って欲しくないわ」と恐い顔のシャロン。
「あんたとは何だ! それが親に向かって言う言葉か」
「あんたはあんたじゃないか。あんたなんか、大嫌い!」と声をあらげるシャロン。
「どこが嫌いなんだ?」と私も語気を強めて、訳のわからない言いまわしで訊き返した。
「ぜーんぶ、全部大嫌いよ!」
「嫌いでも好きでも、親子は親子なんだから、他人にはなれないんだぞ」
「あんたなんか、父親の資格ないじゃん。浮気ばっかりして」とシャロン。
私は娘の口から思いがけず「浮気」と聞いて、あまりにもバカバカしくなって来た。一体どこで、誰と浮気しているというのであろうか。とんでもない誤解が部屋中に飛びまわってしまった。私の存在はシャロンにとって一体何なのだろう。この父娘ゲンカに、お雛様とおタマちゃんがママの背中にしがみついてしまっていた。この私がもし誤解されていたとしたら、あの日、家族全員で久瀬町の祖父母のお墓参りをした時に、一緒に連れて行った菜穂子のことなのであろう。菜穂子と親しく話していたからだろうか。確かに家族とはこれまで一面識もなかった。親族関係でも親戚関係でもない菜穂子は、身寄りのない独身女性ではあった。他人ではあるが、私と菜穂子は幼少の頃から祖母にとても可愛がられた近所の幼なじみで、たまに今も町のどこかでバッタリ会ったりするだけで、それ以外の何ものでもない。偶然町中で会った時に、今度、家族で午前中に墓掃除を兼ねて墓参りをするから、一緒に来てみてはどうか、と連絡をしたら、来てくれただけのことである。だから、あの時、家族全員に菜穂子を初めて紹介したのである。菜穂子とは二つ年下の兄妹みたいなものだった。私が高校を卒業してからは、地元で20年以上も会っていなかったのだ。久しぶりに郷里の町中でバッタリ会って、お互いに年齢を重ねてはいたが、すぐに判った。町中で時々偶然会ったりするので、年頃のシャロンが勝手にきめつけてでもいるのだろう。ママにはちゃんと説明もしており、身の潔白は伝えてある。シャロンには私と菜穂子がそんな仲のように親しげに見えていたのだろうか。
というわけで、シャロンとの父娘関係には今もそんな溝が続いている。パパは何とか修復したいとは思っているのだが、娘はまるで敵に遭遇した針鼠のように神経が尖っているので、何せややこしい年頃で気難しい。おまけに想像力が豊かで困ったものだ。しかも、高校進学の進路問題にまですりかえられてしまうのだから、たまったものではない。今年のシャロンへのクリスマスプレゼントは、いったい何を贈ればいいのだろう。小さな家の大家族で、悩めるサンタさんはとてもつらいのだ。クリスマスなんか無けりゃいいのに。
「サンタさん、チューして」と、突然わが家のお姫様。
「サンタさんにわたしからプレゼントよ。いつも、お世話になってましゅから」と姫。
「うわーっ、何てもったいないお言葉、姫殿」と、姫をだっこして小躍りする私。
「はい、これよ」と姫君が小さな楓のような手で私に差し出したものは、ポカリスエットのペットボトルの白いフタで出来た雪だるまだった。フタにマジックペンで歪んだ目ん玉が二つ、ヒゲまで描いてあった。何てすてきなクリスマス・イブにふさわしい雪だるまのお守り!
「ママ、姫はこれをどうやって作ったの?」と訊くと、
「幼稚園で粘土を使った工作があってね、パパのために、一生懸命つくったらしいわよ」と台所のママ。
「へえ! すっごい可愛いよ」と私。
「私も雛ちゃんからもらったわ」とママ。
「えっ、ママにも? ヒゲ面の雪だるま?」と訊くと、
「まさか。ヒゲなんて生えてないわよ」
「どれどれ、パパにも見せて」とママに頼むと、ママは炊事をしながら、トマトのアップリケが付いたエプロンのポケットから、姫が贈ったクリスマスプレゼントを取り出した。
「こっちの方が可愛いねえ。これ、パパのと全然ちがう」と私。
まるで大内人形のようにふっくらと、艶やかに、しとやかな笑顔だった。
「雪だるまじゃないねえ。小さいボール玉が黒く塗ってある」と私は感心しながら驚いた。
ピンポン玉でもないし、ゴムボールでもない。いったい何だろう。
ところで、ニッキーと二人で屋根に上がったあの日から、実はその後も昼夜問わず、私は一人で何度も屋根の上にあがっては、テレビのノイズの原因を探していた。今年のクリスマス・イブも結局はテレビ映りが悪いままかと半分あきらめていたその矢先、再びニッキーがハシゴを昇って来たのだった。
「サンタさん。テレビがきれいに映ってるよ」とニッキーが万遍の笑みを浮かべながら叫んで来た。
「ほんと?」と私は、暗闇の中を懐中電灯でニッキーの姿を照らしながら言った。
「まぶしいよ。ねえ、すぐに降りて来て」と、うわずった声でニッキー。
私たちはすぐに家の中に戻った。
なんと、わが家のテレビが2年ぶりにキレイに映っているではないか。家族全員がテレビの前に立ち尽くしていた。この当たり前の事が、2年間当たり前でなかったのだから、何とも複雑な心境であった。
「どのチャンネルもきれいでしょ」と大兄ちゃんのニッキーがチャンネルを変えながら言った。
「VHFもUHFも、全部きれいに映るだろう」とニッキーは弟妹たちに得意になって説明をしていた。
「サンタさん、原因が何か判ったの?」とニッキー。私はあまりの嬉しさに言葉が出て来なかった。
「さっき気が付いたんだ。1時間前までは悪かったんだ。急に良くなったみたい。屋根の上のサンタさんのおかげだね。みんな、サンタさんに感謝しろよ」とニッキーは言いながら、両拳を握った両腕を私に向かってガッツポーズしてみせた。
「ああっ、うっそみたい」と喜ぶママ。
「どうしてキレイに映り始めたの?」とアランが私に訊いた。
「サンタさんにもわかんない」と私は答えた。
「兄貴はもうすぐ大学生なんだろう。ちゃんと電気的に答えてよね」と中三のミッキーがニッキーに説明を求めた。
「ゴーストは電波が強いと人が二重に映ったりするんだ。ゴーストはノイズとは直接には関係がない」とニッキーが説明し始めた。みんなそれぞれに座ってニッキーの説明を聞き始めた。座って姫をだっこしたシャロンも真面目な顔で聞き始めた。
「ノイズの原因は、実は家の真上の電磁波じゃないかなと思ったんだ」とニッキーが言うと、家族みんなが天井を見上げた。私はおかしかったが、こらえていた。
「わが家の真上には、実は、幽霊がいたんだ」とニッキー。
「ハハハハッ」とアランが小馬鹿にして嗤った。
「ゆうれい、ゆうれい」とお雛様が騒ぎ始めた。あの笑わなかったシャロンがニッコリと笑い始めた。
「ゴーストっていうのは、日本語でつまり、幽霊なんだけど、冬の雷は実は独特の積乱雲になってて、雷そのものがノイズ源でもあるわけ。雷鳴が聞こえないのに稲光りがしているから、冬の夜の積乱雲が光るときは、雲の形が魔女みたいな人影にも見えるんだ。少し薄気味悪い形で光ったりね」とニッキーの説明が続いた。
「じゃあ、その大きな雲の幽霊がさあ、テレビに悪魔のノイズを出してたっていうの? うらめしや~って」とミッキー。
「そう。悪魔がノイズで毎晩ささやいてたのさ。ミッキー、もっと勉強しろってね」とニッキー。
「悪魔のささやきだけかよ。テレビの映りが悪かったのはさあ」とミッキー。
「姉ちゃん笑ってないでさあ、ニッキーに何か言ってやれよ」とミッキーがシャロンに促した。
「つまり、ニコラスの説明は、非科学的じゃない?」とシャロンが痛いところを突いた。
「じゃあ、これから先はサンタさんにお願いします」とニッキーは私を促した。
「ええっと、さっきまで屋根の上にいたんだけど、特別に何かをしたってことはないんだ」と私はしゃべり始めた。
「めちゃくちゃ寒くなって来たから、ふっと、気温のことを考えていたよ」と私。
「冬になると電線はきゅうっと寒さで縮むんだよ。もしかして、それと何か因果関係がないだろうかと思ってね。温度の変化でケーブルの状態はどうなるんだろうって、想像してだね、伸びたり縮んだりしたら、どこに影響があるんだろうって考えた」と私は説明を続けた。
「屋外ケーブルがつないである場所は、アンテナからジョイントのコネクタを通って、屋内ケーブルのビデオデッキまでだよね。温度に一番変化するのは屋外ケーブルだから、コネクタがどうなっているのか、ビニールテープを取ってみたんだ。同軸ケーブルは業者がしっかりとジョイントしてたから問題はなかったんだけど、念のためにペンチ二つで締め直したら、少し動いたよ。つまり、緩んでいたってことかな。それしか私はやってない。あとは乾いたタオルで夜露を拭って、新たにビニールテープでしっかりと捲いておいた。そうか、それだ。温度変化でコネクタが緩んでいたんだ。それに間違いない」と私は家族みんなに太鼓判を押した。夏は緩まないが、冬は寒さで引っ張り合うから、きっとケーブルが緩んでしまったのだろう。プロの電気屋にアンテナ工事をしてもらっていたので、まさかコネクタが冬になって緩むとは疑いもしなかったが、間違いなくそれが原因だったことは明らかだった。その後、テレビの映像はキレイなままだった。
「サンタさん、ご苦労さま。はい、これ」と、おタマちゃんから私にクリスマスプレゼントがやって来た。ヒゲ面のサンタさんが描かれた私の似顔絵だった。今度はヘチマよりも短いナスビのサンタさんだった。
「ありがとう、おタマちゃん」と私は、おタマちゃんのほっぺにキッスと熱い抱擁。するとおタマちゃんのほっぺが真っ黒になってしまった。
「パパ、これで顔を拭いたら」とママが、温い湯で絞ったタオルをくれた。私はそれで顔を拭いた。
「違うってば。ちょっとこっちを向いてみて、ひどい顔ね。わたしも今頃になって気がついたわ」と優しいママ。
「サンタさん、煙突から入って来たんじゃない」とミッキー。みんなが一斉に笑った。
「うちのどこに煙突があるんだよ」と私はミッキーを捕まえようとして追い駈けた。
「アラン、アラン。生意気なミッキーを捕まえてくれ」とアランにも言った。
わが家にも本当のクリスマスがやって来たようだった。
(終わり)
(2007/12/24)
「電磁界測定」に戻る
『ノイズ』プロローグ
トップページに戻る
|