(1)
手に感覚がなくなり、意識というより、眼だけがまだ生きていた。雪煙りのなかで、波打ち際に打ち上げられた大量の鰯を食いちぎっている黒い鴉の群れだけが、眼に焼き付いていた。翔んでいるというより、猛烈な吹雪に煽られ、宙へ押し戻されていた。褶曲した山の海岸線の切り立った断崖の狭い浜辺で、枯れ木のような木片が風雪で額を直撃した後、倒れた彼の意識は遠のいた。
まる三日間も海はこんな時化が続いているのだという。柏木が会社を無断欠席して、ここにまだこうして人に助けられ、厄介になっていることなど、会社はおろか自分でさえ幽明界を異にしているのに、誰も知ろうはずがなかった。彼は「俺は逃げて来たんじゃない」と、うなされながら、朦朧とした意識から頭痛を抱えて、看護婦から揺り起こされた。漁村の小さな診療所に担ぎ込まれ、柏木は二日間も意識を失っていたが、病室のベッドに横たわって、かすかに見えて来た窓の景色で、蘇生というより人様に迷惑をかけて回復した。
「わかります?」と若い医師に声をかけられ、柏木は「あ、はい」とうなずいた。
「目が、片目が、なんかぼやけて、変なんですけど ‥‥」と言うと、
「左目の角膜に、少し傷が入ってますけど、ひと月もすれば治るから、心配ないでしょ」と医師は言った。
「柏木さんご本人ですよね?」と看護婦に訊かれ、
「ええ」と彼が答えると、
「こちらに免許証と財布が入れてありますから」と言いながら、看護婦は患者専用の台の引き出しを少し開けて、また閉めた。
柏木が額に手をやると、額に包帯が巻いてあった。頭痛は額に何かが当たったこの後遺症だと判った。ときどき吐き気を催す頭痛だった。そして、両足のつま先がなぜか動かなかった。
「柏木さん。あちらの方があなたを運んで来られた、田沼のおじいちゃん」と看護婦は、椅子に腰掛けている老人を紹介すると、
「お礼言っといてね」と小さな声で耳元にささやいた。
柏木はベットからゆっくりと上半身を起こすと、視点の定まらないまま、
「申訳ありませんでした。ありがとうございます」と、その老人の方へ顔を向けてお礼を言った。
「ええって、はよう横になっとけや」と心配そうに、その老人は椅子に腰掛けたまま嗄れ声で応えた。
北陸本線で直江津まで行き、信越本線に乗り換えたら高田で降りようと思っていた柏木は、不意に糸魚川から二つ手前の親不知で列車から降りたくなったのである。荒涼とした鉛色の日本海は、断崖からのぞくと、真っ白な波しぶきにコバルトブルーの碧色がたいそう美しく見えるが、凍てつく極寒の厳しさには顔につららができそうなほど圧倒される。そんな裏日本の景色が柏木は大好きでもあった。
それにしても、やはり脳裡をかすめるのは、あれは事故だったのだと言い訳している自分だった。
あれは半月前のことである。もともと嫌いな相方ではあったけれども、仕事上かならずペアで組んでこなしてゆく作業だったために、仕方がなかった。しかし、あの事故は相方であった久保山自らが、普段から手慣れていたために、それが逆に横着をして油断したために起きた事故である。ただ、現場検証の時に警察側と唯一違っていたのは、柏木側の久保山に対する嫌悪感をあえて述べなかったことと、刑事もそれを訊かなかったことであった。
久保山が昇降機と壁の間に挟まり、スルメのようになってピットに落ちていった事故だ。点検中の荷物エレベーターはあの時、確かに一旦止まり、柏木が気がつき、すぐ非常停止させようと試みたが、エレベーターは2、3秒も持たずに非情にも動いてしまったのである。安全処置をして作業しなければならないものを、先輩でもある久保山は柏木の言うことなどまったく耳をかさなかったのだ。しかし、もしあの時、強引にでもマイナスドライバー1本を、開いた外扉の下に挿入していれば、かりにカゴ(昇降機側をさす)の制御が誤作動しても、エレベーターは動かなかったはずなのである。外扉が開けばリミットスイッチが働き、かりにカゴ側の内扉のセーフティが不良だったとしても、絶対にカゴが動き出すことはなかったのだ。急に外扉が閉まり、カゴの内扉が開いたまま下がってゆくエレベーターの中で、柏木は、塔内に響いたあの時の悲鳴と同時に「グシャ」と骨らしきものが鈍く割れた音を、今もどうしても忘れることが出来なかったのだった。
良心の呵責はなかったが、久保山には妻子がいた。独身の柏木には、何かうしろめたい負い目が不条理となって苦しかった。「俺がいったい何をしたって言うんだ」と自責する日々が、どこへ逃れようとも付き纏っていたのである。
(2000/01/20)
(2)
「おーい、そこどけやっ! ボケっと立ってんじゃねーよ。この役立たずが、バカヤロウ!」と罵られながらも、2年が過ぎていた。柏木には確かに何の技術も無かった。あるとすれば、車の免許くらいだった。この時はまだ自分の車さえ持っていなかったのである。現場で罵倒されるときは、かならず近くに通行人の姿があった。人前で思いきり柏木を罵るのが、久保山の快楽のようだった。特に若い女性が通れば、柏木は久保山によく頭を叩かれた。「これくらいせーよ! アホか」と頭を小突くのである。厚い鉄板に12mmの穴をドリルで満足に穿けられなかった柏木は、ドリルに振り回されるたびに手首をひねっていた。そのたびに久保山から馬鹿にされていた。久保山がいくら手本を見せても、柏木にはそれがどうしても出来なかった。出来ない以上、何を言われても仕方がないと諦めていたのだった。
世間の役に立たない自分をいくら呪い嘆いても、どうにもならなかった。柏木には先天的な持病があり、普通の大人の心臓とは大きさが異なっており、奇形だった。他人にはその臓器が見えないし、また同情も嫌いだった。母親だって決してそれを望んで産んだわけでもないのだ。心臓は半分以下というより、標準の大人サイズの3分の1ほどしかなかったために、持久力が無く、鍛えようとしても鍛えることができない欠陥のある心臓で、不整脈と呼吸困難がストレスに直結しており、どうしても強い体力を作ることが難しかったのである。レントゲン写真には背骨の大きさにも満たなかったほどで、横からの写真だと、それはまるで鶉の卵にしか写っていなかった。大袈裟な揶揄に思われるかもしれないが、はるかに人並以下の心臓だった。医者は生きてゆくには支障のない大きさだとは説明してくれたが、一般成人の標準的な心臓のレントゲン写真を柏木のものと並べて見せてくれたとき、「あっ、こんなに違うんだ」と思った。自分の命はやはりウズラ1個ほどの寿命でしかなかったんだとわかり、蒼ざめたというより、深く傷ついてしまった。
咳き込んでひきつけを起こす度に、久保山は軽蔑の眼で柏木を見据えていた。
「すいません。もう一回やりますから」と柏木が頼むと、
「好きにせーや」と薄笑みを浮かべて、じっと柏木のぶざまな様子を眺めていた。
「お前、臭いけど、風呂は入っとんけ?」と根拠のないことを平気で言うのも久保山の癖だった。
「あ、はい。そんなん当たり前じゃないですか」と言うと、
「お前なあ、髪ぐらい洗えよっ」と、また根拠のないことを言うのが、久保山にはそれがジョークのようであった。
そして、ある時は、彼女のいない柏木に久保山は、
「おい見ろよ。太った三毛猫じゃん。柏木、お前こういうネコが似合うんじゃねえか。女より野良猫のほうを抱けよ。ネコと結婚しちまえ!」
と高らかにゲラゲラと笑いながら、
「カミさんなんてよ、文句ばっかしだしよ。いないなら、いない方がよっぽどええって。お前、ほんとにネコ飼ってみたら?」
これ以上屈辱のしようがないほど、皮肉たっぷりに言うと、また思いきり笑い転げた。
久保山は頑丈そうな肩を揺らしながら、歯並びのいい白い歯をむき出して柏木を蔑ました。でかい鼻の下には髭を生やして、笑うと愛嬌のある顔になるが、真面目な顔のときには意外と顔の彫りが深くて男前だった。それに比べて、柏木は何もかもが貧弱だった。
「久保山さん。あの娘、美人ですね」と柏木が通行人を指差すと、久保山はじっと黙ったまま妙に眼が爛々として大人しくなるのが、柏木にはおかしかった。あまり理知的ではなかったが、そこがまた丸出しの久保山の長所だったかもしれないが、こと仕事になると人前で口汚く豹変するところは、柏木にとってはいちばん嫌いな部分であった。
そんな久保山もあの事故以来亡くなってしまった以上、死人に鞭打つことはできないが、久保山の奥さんから葬儀の時に「主人がお世話になりまして、ありがとうございました」とうつむいて柏木に挨拶してから、彼も御辞儀をしたその後、ふっと眼が合った瞬間、柏木は心臓が凍りついた。眼が憎しみで訴えていたのである。「なぜ一緒にいて、こうなったの?」とでも責められているような険しい冷たい視線に、柏木は何の言葉も返すことができずに、ただ呆然と立ち竦んだ。「俺は‥‥」と内心で、柏木はもう人間として生きてゆくのが面倒臭いようにも思えた。人並みに平凡に暮らしたいだけなのに、なぜいつもこうなるんだ、と人間であることに絶望した。大阪の阿倍野で職業を転々としながら、珍しくやっと2年も続いたエレベーターの仕事だったのに、柏木は「俺はいつも人間関係でこうなってしまうんだ」と、天涯のひとりよがりの性癖を恨んだ。
「柏木さん」と看護婦が声をかけた。
「柏木さん。どうしました?」と言われ、柏木はベッドに横たわったまま、自分の顔から涙がこぼれているのに気がつき、毛布に顔をうずめた。
なぜ、あのまま吹雪の海岸で死ななかったんだろう。ふしぎに思いながらも、一方でまだ生きていられる自分の鼓動に、残り少なくなってきた現世での時間に妙な安堵も絡んでいた。世の中にはやさしい人間もたくさんいるはずなのに、ひねくれている自分が恥ずかしくもあった。柏木は天涯の肉体の衣を借りて、呻吟している自らの貧困な魂にがっかりした。毛布の下で涙がいつまでも止まらなかった。
(2000/02/11)
(3)
「泣き虫」と、どこからともなく聞こえて、目が醒めた。
柏木は診療所で手当をしてもらった後、彼を助けてくれた田沼太吉の世話になっていたのだった。田沼家は親子で漁師をしていた。祖父太吉の孫美和子が、柏木の枕元で「泣き虫」とささやいたのだった。田沼家には太吉夫婦と息子の祥平夫婦と孫三人が暮らしていた。孫の美和子は祥平夫婦の長女で小学6年生だった。弟二人は小学2年生と幼稚園児で、いちばん下はこの春から小学校に入学する。
「えっ、ああ、寝てたのか」と柏木は眠りから醒めた。まだ歩行が少し変だった。両足が海水で凍傷していたらしい。
「また泣いてたよ」と耳元で美和子が言った。
柏木が顔に手をやると、頬が濡れていた。狭心症もある柏木は、胸に痛みを感じた。
「少し歩いてみようかな」と柏木は言いながら、蒲団から起き上がろうとした。やはり足がおかしかった。
「どうしたんだろう」と柏木は二、三歩ほど歩いて、よろけて畳の上に転げた。すると美和子が笑いながら、
「まだ歩けへんね!」と甲高い声を発して、キャッキャッとまた笑った。
「まだちょっと無理やな。ええから、横になってろや」と太吉が寄って来て、柏木を促した。
村の診療所には緊急用の病室が一つあるだけで、太吉が気を遣って柏木を引き取ってくれたのである。
「柏木さん。あんた、蜃気楼を見たことあるけ?」と太吉が訊いた。
「蜃気楼ですか?」と柏木は不意に聞かれて、考えながら真夏の道路の陽炎のことを想い浮かべた。
「かげろうなら、見たことありますよ」と答えた。
「そんなんやない。もっと迫力あるもんや」と太吉は言った。
「そういえば、富山には蜃気楼が現われるんですよね?」と柏木が言うと、
「あれより、もっと凄いのを見たことあるんやで。中国でな」と太吉は自慢げに語り始めたのだった。
柏木は少し興味がわいた。
「日本じゃないんですか?」と聞くと、太吉は満遍の笑みを皺くちゃ顔に浮かべて、
「タクラマカン砂漠や」と言った。
「えっ。タクラマカン?」
「戦時中にな」
「えっ、そんな前に? 中国で ‥‥ ?」
「中国は広かったなあ ‥‥。日本人は残虐なことをして、それがもうイヤで戦地から逃げるようにして脱走じゃ。脱走兵は銃殺刑じゃからの。大日本帝国は恐い国じゃったけえ、わしらお国のために戦ったけどな、やっぱ今でも話されんぐらい残酷なことを繰り返してな。戦友の遺体の片脚だけを担いで、辛かったでえ」
太吉は遠い記憶を昨日のことのように思い出していた。
「わしら揚子江を溯ってな、上流に上流に行ったんじゃけぇ、どんどん奥に入ってな。日本兵の軍服を脱いで、中国人に化けてな、もう奥地に逃げ込んだら分からへんけぇ」
「‥‥‥ 」
「けど、今から考えたら、あり得んことじゃけ、ありゃもしかして熱病じゃったかもしれん」
「‥‥ 」
「いつか到頭たどり着いた所が、砂漠じゃった」
太吉の話を聞いているうちに、柏木は自分も何となく砂漠がうかんできた。
「中国の砂漠には蛇がようおったけど、風紋とよう区別ができんかったけぇ、危ない目によう遭うたな」
「なんか気味が悪いですね」
「そうじゃのう。好きにはなれんかった。砂漠まで来てしもうたら、急に日本が恋しくなったけぇ、やっぱ帰ることにしたんじゃな」
「で、また、もと来た道を?」
「砂漠の入口で野営じゃ。翌日、目が醒めたら、砂漠の真ん中に町と湖が見えてな、そりゃあ大きい湖と町じゃった!」
「蜃気楼だったんですね?」
「蜃気楼ちゅうふうに見えんでな。ありゃあ間違いなく湖と町じゃった。どうしても蜃気楼には見えんかった」
「で、どうしたんです?」
「向かって歩いて行ったんじゃな。すぐそこに見えたから、そう遠くないと思ってな」
「それからどうなりました?」
「10キロぐらい歩いたら頭が痛くなってな、砂丘にのぼって気が付いたら、町も湖も突然消えてしもうたけぇ、わしら唖然となってへたり込んだよ。もうおしまいと覚悟を決めたな。見渡すかぎり砂丘で、方角が曖昧になってな。それでも、わしら太陽が傾いてゆく反対側をまた歩き始めたけぇ、日本の兵隊さんは強かったんじゃろなあ」
柏木は太吉の話を聞いてだいぶ気が紛れた。旅のついでに富山で見える冬の蜃気楼も見てみたい気がした。自分の目でいちど蜃気楼を見ておくのも冥土の土産のようにも思えた。所詮は人の人生なども蜃気楼のようなもので、死んでしまえば意味のない時間であったことがわかるのだ、と彼は独り勝手に諦念を抱いていた。
「じいちゃん。晴れたから、雪掻きして来る」と、傍にいた美和子が明るい声で叫んだ。
「おお、晴れて来たか。気をつけろや!」と太吉は外に目をやった。
「うん!」と美和子は返事をして家の外に飛び出した。
(2000/03/06)
(4)
あれから10日間余りも太吉の家に世話になってしまった柏木は、いつまでも他人の恩義に甘えるわけにもいかず、せめて治療代と食事代くらい受け取って欲しいと太吉に言うと、太吉はそんな柏木をやさしく叱りながら「気にせんでええ」と繰り返し、お金を受け取ることはなかった。
「こんなにお世話になったのに、何もお返しできなくて、本当に申訳ありません」
と柏木は謝った。そして、
「もうすっかり歩けますので、そろそろ先を行かねばなりません」と柏木は言ったものの、行くあてはあるようでなかった。
「これから、どっちへ向かうね? 目は大丈夫けえ?」と太吉が訊いた。
「はい。何とか霞みだけは取れましたし、ずいぶん見えるようになりました。これから高田を目指して行こうかなと思いまして」と柏木は答えた。
「高田って、新潟のかい?」
「ええ」
「あれ、娘のおる所だわね」と太吉の妻の八重が側で言った。
「おじちゃん、行っちゃうの?」と美和子は柏木に向かって訊いた。
「うん。美和ちゃん、いろいろありがとうね。とっても楽しかったよ。またいつか、遊びに寄ってもいい?」
「やだ。行っちゃイヤ!」と美和子は、今にも泣き出しそうな顔で柏木を引き止めた。
「まあ、自分の家じゃ思うて、いつでも立ち寄ったらええ。あんた、どんな事情があってか分からんけど、希望は捨てちゃいかんよ。絶対に」
と太吉は柏木を励ましながらやさしく言ってくれた。
「もし、なんかあったら、うちの娘夫婦が高田に住んじょるけえ、電話したらええがいね。美和ちゃん、紙とボールペン持って来て」
と八重が孫娘の頭を撫でながら言うと、美和子は黙ってメモ紙とボールペンを取りに行った。
その日の夕刻、太吉の息子の祥平夫婦がとなり町から仕事を終えて帰宅して来ると、話題は柏木が明日発つことになったことで、あらためてこの10日間余りの逗留のことが食事中にも盛り上がった。
「高田には、どうして? よかったら話してください」と祥平が訊いたので、柏木は幼少の頃の事情や生い立ちに少しだけ触れて話した。
「妹の名前は千鶴といいます。千の鶴って書いて、ちづるです。きっとどこかで、元気に暮らしているんじゃないかと思ってますが」
「妹さんは、きっと元気ですよ。高田にいらっしゃるのは、間違いないんですね?」
「3年前に施設に寄ったら、たぶんそこにいるんじゃないかって。養女にされて姓も変わったでしょうし、所帯を持ったら、また姓も変わっているでしょう。私の唯一の身内なんですが、他に手がかりは何もありません」
と柏木は祥平に説明した。
「役所でいちど調べてもらったらいかがです?」と祥平が言った。
「ええ、前に電話で訊ねたことがあるんですが、下の名前だけじゃ判らないと言ってましたね」
「お役人のことだから、いちいち面倒臭いと思ったんじゃないの。なあ、節子」と祥平は隣りに座っている自分の妻に言った。
「そんなこともないでしょうけど、でも直接窓口で訊いたら違うんじゃないかしら」と節子は、娘の美和子の茶碗にご飯をつぎながら返事をした。祥平も茶碗を出してご飯をおかわりしていた。
翌朝、雪がやんだ海は実に穏やかだった。田沼家の家族7人がわざわざ駅まで柏木を見送ってくれた。
「また、必ず立ち寄りますよ。本当に、いろいろお世話になりました。ありがとうございました」
柏木は小さな駅のホームで挨拶をした。美和子だけは母親の背中に隠れて、しくしくと泣いていた。柏木に「泣き虫」と言っていた本人が、別れ際にいちばん悲しく泣いていた。
「美和ちゃん、元気でね。さようなら」と柏木が言うと、美和子はその場から歩いて後ろ姿でみんなと少し離れてしまった。そして、ホームの隅っこでぽつんとしゃがみ込んだ。しばらくして、列車が入って来た。列車が停車して、扉が開くと、柏木も淋しく乗り込んだ。空いた席に移って、窓を開けた。
「じゃあ、皆さんお元気で。本当にお世話になりました」と柏木は何度も御辞儀をしてお礼を言った。
「気をつけてな。またおいで」と太吉は笑いながらも心配そうに言ってくれた。
「はい。ありがとうございます。それじゃあ」と柏木は返事をすると、動き始めた列車の窓からみんなの顔を名残惜しく一人ひとり見つめた。
と、その時、そこにいなかった小さな美和子が、列車と同じように走り出し、柏木の方へ向かって来た。柏木は思わず窓から身を乗り出し、
「美和ちゃーん、さよーならあー! 元気でね!」と大きな声で叫んだ。
美和子は列車に追いつけずに立ち止まると、ホームの端まで来て手を大きく振ってくれた。美和子の姿がどんどん小さくなっていった。
その冬の旅から3ヶ月後、柏木は大阪阿倍野の自宅アパートの一室で、病床についていた。前の会社がクビになり、体も働ける状態ではなかった。げっそりと衰弱してしまっていた。町中の街路樹はすっかり新緑にあふれていたが、なかなか外を歩くことさえも困難だった。体調がいい時は、なるだけ外を歩くようにはしていたが、日々だんだん歩けなくなっていた。体が動かなくなって来ると、柏木はよく夢をみるようになった。田沼家の家族のように賑やかで、祖父や祖母がいて親子や孫たちも一緒に暮らしている、そんな温かい家族に囲まれている夢だった。
それにしても、心臓の鼓動がときどき停止するようになると、呼吸がそのたびに出来なくなり、息を吸うことも吐くことも急に出来なくなってしまっていた。そんな発作がやがて肉体を酷使して、徐々に命を蝕んでいるのがよくわかるようになった。しかし、柏木は夢をみるたびに、少しずつではあるが、もっと生きていたいと強く望むようになった。まだ、けっして遅くはないはずだと思っているのに、体はそれとは正反対に萎縮を進行させていた。「終わりたくない」という切ない命の意志が、柏木のなかで必死に渇望を繰り返していた。
夢はやがて薄ら寒い蜃気楼となって、痛みもないままに彼は恐ろしく深い眠りのなかに落ちていった。
(2000/04/02)
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