(1)
千鶴が生き別れとなっていた兄の遺骨を引き取り、富山県の氷見市の墓地に埋葬してから三回忌を迎えたその年の夏、夫の佐山信彦と氷見を訪ねた千鶴は、兄の墓前に献花した後、夫と一緒に墓のまわりの草むしりをした。柏木家には墓が無かったので、夫の信彦がささやかながら小さな御影石の墓を建ててくれていた。小高い丘陵の、海がすぐ見える墓地の一角に、慎ましく建ててあった。
兄の祐一郎が死の直前まで書き綴っていた大学ノートには、亡くなったと思われるその日のぎりぎりまで、「しんきろうがみえる」とか「おじいさん、美和ちゃん、千鶴、いつまでもみんな幸せにいて」などなど、文字がよれよれになりながらも書き込んであった。お世話になったという田沼家の住所も手紙で判り、千鶴と信彦は田沼家へも挨拶に行き、千鶴は兄に代わって田沼家の家族にも御礼を言った。あれから二年が経ち、蜃気楼を見たくて見られなかった兄のために、ここ氷見の墓地へこうして今年の夏も、兄の供養に来るようになったのだった。
「ほらほら、あなた、あんなところに撫子が」と千鶴は言った。手の届かない崖のところに、淡い薄紫色の撫子が風にそよそよと揺れていた。
「えっ。オイ、そこは危ないじゃないか」と信彦は傍に寄って来て、千鶴の腕を引っ張って言った。
「だって、きれいじゃありませんか」と千鶴は、夫に腕を握られて、かえって安心して身を崖の上に乗り出した。
「オイ、無茶なことをするな!」と信彦が大声で言った瞬間、
「あーッ!」と二人とも崖の草叢から滑り落ちてしまった。
「アイタタタッ … 」と信彦は千鶴の腕を握ったまま、1メートル下の崖の窪みに落ちて尻餅を搗いた。
「だから、言わんこっちゃない」と信彦は千鶴に怒って言った。
「ねえ。ここって、いい眺めじゃない?」と千鶴はニッコリと笑って言った。
信彦は呆れた真顔で千鶴を睨みつけてから、あらためて正面の風景を眺めた。目の前には絶景の海が広がっていた。
「まあ、悪くはない」
「悪くはない、ですって? 最高のロケーションじゃありませんか。子供たちも連れて来ればよかったわ」
「キミが連れて来るのはよそうって言ったくせに」
「あら、そうだったかしら」と千鶴は信彦の肩にすり寄って凭れた。二人の頭の上には撫子がすうっと立って咲いていた。崖の上といっても少しなだらかで、晴れた遠くには富山湾の向こうに立山の飛騨山系が見えるのだが、この日は炎天下ながらも遠くは薄曇ってて山脈までははっきりとは見えなかった。兄が生きていたら、きっとこの場所を気に入るはずだと千鶴は今も思っている。崖の下には小さな漁港があった。烏賊釣船が何隻か見えた。防波堤の突端には赤い灯台のようなものがあり、入江の向こうでは何人かが磯釣りをしている。
「来年は、子供たちをここへ連れて来よう」と信彦は言った。
「今年は三回忌でしょう、兄のこと、じっくりといろいろ考えたかったのよ」と千鶴は、うつむいて言った。
枇杷の木の葉かげが顔にかかって、いくらか涼しかった。
「キミの兄さん、栄養失調で死ぬなんて、どうしてそうなっちゃったんだろう」と信彦が訊いた。
「本当の死因は、栄養失調じゃないわ。心臓発作なの」と千鶴は答えた。
「えっ」
「持病があったのよ。小さい頃から心臓が弱かったわ」
「心臓 ‥‥ ? 心臓かあ ‥‥ 」
「ええ。兄妹なのに、私は普通だったの。兄が亡くなって、これで私の身内はあなたと私達の子供だけだわ」
「おいおい、おじいちゃんもおばあちゃんもいるよ。うちの親にしてみれば、可愛い孫たちだからな」
「そうね。あなたと一緒になってよかったわ。嫁と姑はとっても仲がいいし、おじいちゃんは面白いし … 」
千鶴はまたニッコリと笑った。海からの潮風がとても心地よかった。
二年前のあの日、突然警察官が高田の佐山家にやって来て、兄の訃報を報されたときには、千鶴は愕然となった。「いやあ、捜しましたよ。旧姓、柏木千鶴さんご本人さんに間違いありませんね?」と詰問された時は、一瞬ドキッとした。一体何事かと思った。「お兄さんの祐一郎さんが、お亡くなりになりました」と警察官は職務的に淡々と報告した。千鶴もけっして兄のことを忘れていたわけではなかった。心のどこかに、またいつかきっと逢えるものと信じていた。しかし、いきなりこんな形で再会しようとは、夢にも想像しなかったことである。女は男と違って、女としての生き方しか出来なかったし、運命に身を負かせるしかない弱いところもあるのだ。兄の訃報を聞くと、千鶴は全身の力が抜けて、その場にしゃがみ込み、涙がとめどもなく溢れて仕方がなかった。幼い頃の兄はいつも妹の自分をかばってくれて、本当にやさしい兄だった。施設という特殊な環境のせいもあって、あの頃は本当にこの世に二人だけになってしまったという言い知れない哀しみでいっぱいだったのだ。千鶴はあの時の兄との別離の日を、ふっと思い出した。
兄の祐一郎は突っ立って歯を食い縛り、自分がまったくの見知らぬ他人に連れられて行くのを、姿が見えなくなるまでじっと見送っていた。兄は手を振りあげるわけでもなく、ただじっとこちらを見つめていた。一度だけ腕を顔にやり涙を拭いたような仕草だけが見えた。力任せにぐいぐいと引っ張られてゆく自分から、だんだん遠くなって小さくなってゆく兄の姿を振り返りながら、「お兄ちゃん。お兄ちゃん」と何度も胸の中で泣き叫んでいたのを、千鶴は思い出した。そして、強く握られた手を思い切り振り払って、千鶴は兄の方に駈け出したのだった。兄はまだそこでじっと仁王立ちしたままだった。千鶴が「お兄ーちゃん!」と泣き叫んだその時、兄もまたすぐに走り寄って来たが、「千鶴! 行くんだ! いつかきっと会いに行くから!」と言ったのを聞くや、千鶴は走るのを止めて、じっと兄の方を見据えたままだった。
その後は、もう記憶が消えかかっていた。背後から誰か大人の男性がまるで荷物を抱えるように、自分を小脇に抱えていったのだった。抱えられたまま後ろをいくら振り返っても、もう兄の姿を確かめることも涙で見えなかった。そして、それが兄の生きていた最後の遥か遠い姿として、今も鮮明にその時の残像だけが脳裡にのこっている。あれから一体どれほどの歳月が経ってしまったのだろうかと、千鶴はぼんやりと目の前の海を眺めた。きっと兄もこうして何度となく、海を見つめてはさびしいこころを安らわせていたのだろうと、しみじみと想った。墓の前の崖の下の窪みで、千鶴は夫の手を握り締めた。
(2000/06/13)
(2)
子供たちが寝静まったその年の夏のある夜、千鶴は蚊帳の中で遠く花火の音がするのを聴いた。こんな真夜中に、誰か花火を打ち上げているらしい。シュッーと打ち上がって、パーンと音が弾けていた。淋しい音色の微かなひびきだった。夫の信彦は子供たちに背中を向けて、疲れたように少しだけ鼾をかいていた。上の男の子はそんな信彦の背中にくっついていたが、下の女の子は千鶴の傍でうつ伏せになってぐっすりと眠っている。上が6才で下が3才である。
「人間は生きていることが、いちばん幸せだ。親がいてもいなくても、兄弟があってもなくても、友達がいてもいなくても、生きてることが、何よりの幸せだ」と兄の言葉を、千鶴はふっと枕元で思い出した。寝付かれない真夏の夜だった。窓の網戸からは時折り涼しい風が吹き抜けていた。兄の祐一郎はどんな生き方をして来たのだろうかと、いろいろ考えてみたが、想像すら湧かなかった。20年間ちかいあまりにも長い空白の歳月で、幼少の時期の微かな記憶と残像だけで、何の手がかりもなかったが、兄の書き遺した一冊の大学ノートには、30歳を過ぎた頃から少しずつ書いていった日記のような断片そのものが、あたかも祐一郎の半生を語っていたのかもしれなかった。しかし、そこには生活の匂いがひとかけらもない、むなしい書き込みだけであったが、世の中に対する不平や怒りが正直に訴えてあった。
千鶴は時間の合間を縫っては、それを一文字ずつ丁寧に拾っていったのだった。
「学校とは、友達を作るところ。競争して、人を蹴落として、成績に順番を付けて、いったい何になる。俺はそういう差別する教育が嫌いだ。社会に出れば、誰もが競争社会を知ることになる。せめて学校では、みんなが友達にならなければならない。成績の悪い子に、人間まで悪く見る教育は、やっぱり間違いなのだ。成績の悪い子ほど、教師は教育熱心にならなければならないのに、悪い点数をつけ評価することがそれを教師の職務としている。生徒数の多い問題ではないのだ。愛と理想が教師に欠けているだけだ。だから、俺は学生の時、そんな教育者ではないサラリーマン教師に暴力を振った」 しかしながら、自責の念にかられてか、祐一郎はその後こうも記していた。「暴力でなくて、反論で訴えるべきだったのだろう。だが、その反論の説明が当時学生の俺にはできなかった。若いというのは、そういうことでもあるのだ」と付け加えてあった。
兄はどうしてこうも教育について熱くなったのだろうと、妙な気がしていたが、ただのコンプレックスとは言い難く、主張には何か理路整然としているものが根底に流れているようだった。
「学歴、社会的地位、金持ち、名声栄達、立身出世、これらにはみんな人としての道が説かれていないものだ。今の教育は、家庭も学校も人の道に反するものだけに執着してしまっている。そのバカげた教育のために、人の道に反した子供たちがたくさん出来てしまうだろう」と兄は嘆いていた。「道徳や倫理観などお金にならないことは学ばない、というバカげた教育が、いつかきっと子供を滅ぼしてしまうだろう」と訴えていた。そして、「人の道とは、徳を磨き、自分以外の人の心に尽くすこと」とも書いていた。
人に尽くす、とは言わずに、人の心に尽くす、という言葉は、千鶴には難しくて解釈できなかったが、感じることで理解できた。
二人の子供を授かった千鶴には、これらの兄の言葉が忘れられなかった。子供たちの寝息と、また一つ遠くで聞こえた打ち上げ花火の音が、寝付かれない夏の一夜に、むしろ心地よい幸せを包んでくれていた。「兄さん、ありがとう」と千鶴は胸で感謝した。
(2000/08/17)
(3)
「この世でもう一人だけ、大切な人がいた」と兄の遺した手記には書いてあった。千鶴は兄の遺品となってしまった粗末な和机の上に、その大学ノートを開いていた。
千鶴は下の女の児が昼寝をしているあいだに、わずかな時間を縫って手記をよんでいた。
「辰野先生、僕はどうしてこんなに罰当たりな男になってしまったんでしょう。梨沙さんの命をこんなに早く奪ってしまったのも、結局は僕のせいですね。先生をあまりに尊敬するあまり、つい梨沙さんのことを好きになってしまった僕が軽率でした。病弱なお嬢さんをこんな形で、こんな酷い仕打ちで、恩を仇で返すような弟子は、すぐに破門して下さい。これ以上もう僕には耐えられません」
最初は何のことか判らなかったが、兄の祐一郎が歴史学者の辰野肇の門下生として私淑していた時期があり、その先生の愛娘、梨沙さんという女性と恋仲になった関係かと思っていたのだが、梨沙さんにはすでに婚約者がいて結納まで済んでいたところに、兄が割り込んだ話のようであった。辻褄が合わないところもあったが、説明のない日記の記録の断片から察するに、つまりそういうことらしい。
生前の兄にも愛した女性がいて、叶わぬ恋の成就というよりも、それが運命的であればあるほど、人というものは時に激しくも逆行し惹かれ合うものだと、千鶴は女として直感した。
兄にとって梨沙さんの存在は、もっとも理想にちかい女性であると同時に、初めから罪悪感を伴っていた出逢いだったことも、千鶴にはよくわかる気がした。
「なんて悲しい瞳をしているのだろう。今のあなたは本当に幸せなのですか。フィアンセの大野君には、あなたを幸せにできるはずがない。僕はああいうインテリが大嫌いです。いくら阪大卒のエリート商社マンだからといって、将来が有望であるということと、あなたを幸せにすることとは、別なことではありませんか。今が本当に幸せだというのなら、なぜ、そんなに悲しい表情を僕に見せるんです?」
一方的に決めつけた兄の手記には、独断と自意識に溢れていたが、千鶴は胸の中で兄の味方をしていた。
「この一年間、僕はずっと黙っていましたが、先週やっとの思いで僕の気持ちを告白したのに、梨沙さんは本当に誰に対しても優しいのですね。大野にも僕にも同じように接してくれるのは、これって僕の存在感はあなたにとっては微塵のかけらもないことなのかい。あなたの前では、ついベラベラとおしゃべりになってしまうけれど、ホントはこんなに陰気で孤独だから、僕も所詮は安っぽい男かも知れませんね。でも、今日のあなたは、僕とおしゃべりすることが楽しそうに見えましたが、振り返れば、これもあなたの美徳なんでしょうね。辰野先生の膝下で育った梨沙さんは、本当に何もかもがうつくしく、体さえもっと丈夫だったら、きっと今頃は女性としても社会的にすぐれた仕事に励んでいたのでしょうね。もちろん大野なんかより、もっとすてきな男性ともめぐり逢っていたかもしれません。だから、そんな風でなくて、こうしてめぐり逢っている僕たちは、やはりこれも運命だとは思いませんか?」
手記というより夢想的な日記なのだが、兄の恋には多少なりとも目茶苦茶なところがあって、千鶴には微笑ましかった。破天荒で目茶苦茶な恋の筋書きには、たいていは通俗的に悲喜劇を生むのだが、兄の場合もどうやら片想いに終わってゆくかにみえたのだが、病弱だった梨沙さんの急逝は、その直後から兄にかなりの衝撃を与えたようだった。
驚いたのは、手記に書いてあった、兄の愛読書である伊東静雄の詩集『わがひとに與ふる哀歌』の書物の中に、梨沙さんからの手紙を大切に挟んでいるというのだ。兄の遺品の書籍は段ボール箱の中にあった。千鶴はその伊東静雄の詩集を見つけると、その本に挟んであった梨沙さんからの手紙をすぐに発見した。ぼかし秋草模様の薄地の和紙の小さな封筒で、柏木祐一郎様と宛名が書かれていた。
淡い狐色の薄模様の便箋だった。
「西本願寺は本当に大きなお寺で、びっくりいたしました。大阪からほとんど出たことのないわたくしには、京都なんて電車でこんなにすぐお隣りなのに、もっと早くに行けばよかったわ。でも、祐一郎さんがお声をかけてくださらなかったら、きっとこのまま何も知らずにわたくしの一生は終わっておりました。こんな体でも支えてくださる方がいらして、本当に本当にうれしくてなりませんでした。父も母も、そして大野さんも出掛けることを最後まで反対なさって、それをあんな風に強引な形でわたくしを誘ってくださった祐一郎さんは、そんなにあなたが自責するほどの野蛮なことだったなんて思わないで頂きたいの。だって、本当にあの一日は、生まれて初めて最も楽しかった一日でしたもの。どうしてわたくしが祐一郎さんを憎むなんてこと、絶対にありっこないわ。わたくしはあの日から祐一郎さんに自分の命を預けたのですから。そのことであなたへのご返事をしたつもりでいます。今もその気持ちに変わりはありません。
賀茂川の水はいつもあんなに寒々と流れているのでしょうか。きっと浅瀬だったから、あんな風に感じたのかもしれませんね。秋晴れでとてもお天気がよくて、川べりで祐一郎さんと日向ぼっこしてたときに、わたくしが何を思っていたか、けっきょく恥ずかしくて何も言えませんでしたけれども、あなたはおわかりになっていたのかしら。
比叡の紅葉もずいぶん深まって見えましたわね。円通寺から比叡が借景になっていると教えてくださったのに、あなたはわたくしの体ばかりを心配なさって、とうとう連れてはくださらなかったでしょう。でも、高雄の紅葉を見せてくださったから許します。高山寺の石水院から眺めた紅葉は、一生忘れません。もうこれ以上何も要らないわ、って言ったら、またきっとあなたはお怒りになるのね。これもいつからかすっかり自分の習慣になってしまって、弱気なわたくしでごめんなさい。まだまだ人生は長いわ、そうでしょう? まだ、わたくしたちには時間はたっぷり与えられているはずですものね。
それにしても、ほんとうに可笑しかったのは、石水院で見た鳥獣戯画に祐一郎さんそっくりの蛙が描いてあって、あのとき思わず吹き出してしまって、本当にごめんなさい。あなたの面食らった真顔が、いまも忘れられなくってよ。これって、どんなふうに弁解しても失礼で、お許しになって。あなたのこと好きになってしまったから、ここまでやっとずけずけとお話ができるようになったのですわ」
千鶴は兄宛ての梨沙さんからの手紙を発見し読んだ後、この日、晩の食事の用意をしながら夫の信彦が早く帰宅するのを待った。信彦が「ただいまァ」と言いながら玄関に入るやいなや、千鶴は嬉しそうに「お帰りなさい。あなた、大変なものが見つかったわよ」と早速その手紙のことを報告しようとした。
「なんだ、小判が詰まった甕でも見つけたのか?」と夫は、相変わらずのことを言っていた。子供たちも「なに、なに? お母さん、何見つけたの?」とすぐに駆け寄って来た。信彦は下の娘を抱えながら、
「小判がざっくざっく見つかったってさ。これで明日から、お父さん仕事に行かなくてもいいかもな」と言うと、
「コバン? コバンって、何よ」と娘が訊いた。
「なんでしゅかねえ、おーしえない」と夫は応えた。すると娘は信彦の頭をポカポカと叩き始めた。
「馬鹿なことを言わないで、あなた。早く手を洗ってね。嗽もしてね」
と千鶴が夫に言うと、「もう、どうしていつもこうなのかしら」とひとりごちた。
(2000/11/13)
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