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山口県山陽小野田市有帆菩提寺山磨崖仏 (No.1)
左側の宝髻一部と左瞼がわずかに欠損しているが3m余り(壱丈六尺)の像高には迫力がある
(2006/06/25 撮影・古川卓也)



【有帆磨崖仏との出会い】   京都暮らしを終えて山口に帰郷し2年が過ぎた30歳の頃、旅の放浪癖がまだ残っていた頃でもあるが、不整脈の持病に苦しみながら、到頭がまん出来なくなって近くの循環器科の病院に駆け込んだことがある。その日は患者がいっぱい並んでいて、受付で「心臓が止まりそうなんですけど」と症状を言ったら、すぐに診察室に通されて、心電図で診てもらうことになったのだった。医者は私の波形を見ながら、「時々、こことここが止まるみたいですね」と言うと、「頓服を呑んどいてください」とのことだった。えっ、そんなもんで治るのだろうかと思いつつ、精神的にだんだん目の前が暗くなり、その時の眼に映るふるさとの風景が急に名残惜しくなって来たのである。薬の投与だけでは不安で、闇雲にそこら中を歩きたくなったのだった。

  車を運転しながら近所の菩提寺山の中へ入ってゆくと、神社入口の境内に偶然、磨崖仏の案内看板を見つけたのだった。「こんなところにも石仏があるのか」と思い、たまたまその時期、九州の国東半島の石仏や宇佐八幡、宮崎の西都原古墳群を観光して来たばかりだったから、妙な因縁もあるものだなと感じてはいたのである。その頃は古代ロマン漂う九州を舞台にした小説を書くために、熊本の装飾古墳や高千穂の峰を取材観光していたのだ。山口県のふるさとの石仏なんて、どうせ大したもんでもないだろうと思い込んでいたわけだが、その有帆菩提寺山の磨崖仏を初めて拝すや、思わず腰が抜けそうになった。蓮華の水瓶を持つ丈六の大きさの聖観音菩薩立像のあまりに美しい慈悲深いお顔に、びっくり仰天してしまったのだった。このような哀切さを漂わせた観音像って、他にどこかなかっただろうかと京都・奈良や敦煌莫高窟などの仏像の記憶を辿ってみたのだが、まったく思い浮かばなかったのである。木像にも石仏にも似たような表情の仏像が他になかっただろうかと、さんざん思いあぐねたのだが、結局、唯一無二の石仏だと判り確信した。心臓の不整脈どころではなくなってしまったのだ。当時、あまりの感動的な出会いに何もかもがふっ飛んでしまったのである。

(2006/06/26)


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