平成12年に逝去された故・太田古朴氏は仏像彫刻家というより、現代の数少ない貴重な存在の仏師でおられた。仏師であるがゆえに、仏像研究においても、生前は学者としてのお仕事もこなされている。生前にお会いしていれば、有帆菩提寺山磨崖仏について、どんなにか楽しい時間が過ごせたやもしれぬと、誠に惜しい思いがしている。仏師・太田古朴氏の『奈良時代石仏と造像法(三)』(「史迹と美術」第519号 史迹美術同攷会 1981年)の論文がなければ、この磨崖仏が奈良時代制作のものである確証と自信にはつながらなかった。
今回、ちょうどいい機会だから、有帆菩提寺山磨崖仏の写真公開をしてゆく上で、太田古朴氏の論文を再読してゆきたいと思う。実は古朴氏が実にきわめて重要なことを書き遺しておられるのである。また、上の写真にも注目して頂きたいのだ。「菩提寺山磨崖仏の大きく高い二重蓮花座は白鳳時代の一つの決め手になるだろう」と指摘されているのである。氏は続けて、「一重にも思われるような大きな白鳳式蓮弁の周辺に細いひもとりを入れたのも特色である。薬師寺観音の蓮台もこのような立ち上り式ではあるが大きくどっしりとしたところはこの磨崖仏の白鳳時代らしさを物語るものであり、とうてい昭和初期に作られたものではない」と、述べられる。この菩提寺山磨崖仏の拡大蓮台写真については、同じ撮影日6月25日に撮影しておいたので、次回に公開予定である。
ところで、昭和の人が磨崖仏のすぐ前に御影石の焼香台立てを置いているので、これはいかがなものかと私はいつも心配している。もし地震でこの丸い擂り鉢状の御影石が石仏の蓮台にでも飛んでいったら、蓮台部分が破損しやしないかと案ずるのだ。国内で文化財指定されている石仏は大体柵か何かで囲ってあり、焼香台は石仏から何メートルか離してあるものだ。石仏を破損させないための考慮でもある。県も市も一刻も早く大事に保存対処をして欲しいと思うのだが、文化財指定がないという理由だけで何もしないのは、石仏に対してさほど愛情がないということなのだろう。国宝にも値する石仏が無理解なのは、あまりに可哀相で仕方がない。孤独で、いつも胸が痛む思いがする。また、仏像とは、蓮台も含めて全体の御姿を拝するものなのに、全体が見えぬとは遣る瀬ない思いがする。上の写真のように邪魔でさえある。衆生に悟りと慈悲の美しい完璧な御姿を見せるために、仏像はあるのだ。
(2006/06/30)
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