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山口県山陽小野田市有帆菩提寺山磨崖仏 (No.6)
花崗岩の聖観音菩薩立像

白鳳期の名残りを思わせる大きくて高い蓮弁の二重蓮華座/台座の高さは70cmもある

(国内にこのような蓮華座を持った石仏は他にない)



この磨崖仏が国内のすべての仏像の中で特に似ているのは、奈良県薬師寺東院堂の聖観音菩薩立像と思われる。白鳳最末期の国宝金銅仏で、像高は約189cmほどだ。頭部から比較してゆくと、磨崖仏の方の宝髻は左側半分ほどが破損摩耗していて原形は見られないが、額のすぐ上の結った髻は薬師寺の聖観音像と酷似している。四・二五頭身の磨崖仏側には三道はなく、薬師寺側のようなスマートさはない。しかし、次の点からがよく似て来る。胸元の二重の瓔珞では、双方とも下側の飾りが等間隔で数条の房を左右対称に垂らしている。特に中央部は大き目の房の飾りである。そして、左肩から右腰になだらかに下がる条帛は途中で結びを垂らし、垂らした結びの形状もそっくりで、腰の中央部にも飾りが施してある。さらに驚くのは裳の衣紋である。両脚脛部の均一波状の衣紋の流れ、両脚間の襷掛けのつづれにも見える鋸歯状衣文、裳の長さは双方とも足首が充分に見える高さに止まり、天衣の流れ方も双方そっくりなのである。そして、大きくて高い立ち上がり式蓮弁の配置といい、蓮華座もよく似ている。左手の水瓶と蓮華の持ち方が双方に違うだけだ。いずれにしても、作風はおそろしく似ている。白鳳期のものと至極似ているというのは、仏師・太田古朴氏が生前に指摘されておられたように、中国磨崖仏と同様の古尺による百二十指法造像であって、天平前期相応の磨崖仏と考えてよいのである。

有帆菩提寺山磨崖仏の蓮華座とよく似ている他の仏像も挙げてみよう。それは、法隆寺の銅造鍍金の夢違観音(国宝、像高約87cm、7世紀後半白鳳期の代表的観音菩薩立像)であったり、同じ法隆寺の阿弥陀三尊像(伝・橘夫人念持仏/国宝、7世紀後半)の脇侍像などである。あるいは、中国の敦煌第220窟南壁の阿弥陀浄土変相の脇侍菩薩の壁画だ。642年初唐のものだが、よく似た蓮華座のみならず、裳といい天衣といい、条帛や瓔珞の色彩華麗精緻な気品ある表現様式の原点がそこには見られる。その作風が東漸し日本の白鳳期に生彩を放って誕生していったのかと思うと、ますます感動がこみあげて来る。石仏においても、洛陽の龍門大石窟(奉先寺洞)は花崗岩だが、同じ石質の花崗岩に彫り刻み込まれたその華麗精緻な大陸的技法は、日本の天平期であればこそ、うなずけるといえる。また、韓国慶尚北道の石窟庵における十一面観音像(8世紀半ば頃造立)の石仏が、左手で水瓶を持ち右手で裳をつまむ姿態は、有帆菩提寺山磨崖仏とそっくりなのも注目すべきであろう。唐や新羅の石工たちの大陸的技法の継承伝播なくして、有帆菩提寺山磨崖仏の制作は決して出来ないのである。



(2006/07/04)

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